存在論的中絶と革命 石川義正(インタビュー)

「HAPAX」は現在準備中の2期2号に向けて『存在論的中絶』刊行前に石川義正氏にロング・インタビューを行った。同書とインタビューの重要性を鑑みて、先行してここに掲載する。同書刊行前の2023年7月30日に収録され、その後、大幅に加筆訂正したものである。(聞き手 長谷川大&髙山花子)


長谷川 石川さんは日本文学を建築という斬新な視点から文学を論じた『錯乱の日本文学』につづき、動物論を核としながら、あらゆる動物論とは異質の『政治的動物』を刊行して、文学における生と政治をめぐって(われわれの言葉でいうと)「脱構成」的な思考を単独で深めてこれらました。いまわたちたちが草稿で読ませていただいた『存在論的中絶』はさらに決定的で重要な本です。これから生と死、自然と政治、そして革命について考える時、つまり何かを思考するときということですけど、必ずふまえなければならない一書となるでしょう。この本で石川さんは人工妊娠中絶を自己決定論ではないところから肯定する理路をさぐりだしながら、同時にこの社会が優生学体制そのものとなっていることをあばきだすのですが、その際、リベラルや左派を自認する思考さえというか、それこそが優生体制に加担していることを容赦なく批判しています。

石川 『存在論的中絶』は優生思想をめぐって人間と非人間という区分を問い直す点で前著『政治的動物』の延長線上にある試みです。前著に収録した蓮實重彥論(「私生児と機械」)で私は蓮實氏のエッセイや小説に見られる「私生児」概念を批判しています。そこでの私生児とは正統的な「父親」を持たない子どもを意味しているのですが、そのような父親への否認が同時に父親への従属を意味する、という両義性を指摘したものでした。これは蓮實氏における「マゾヒズム」、ひいては「近代」や「散文」といった概念の両義性に通じるものであるとともに、天皇制のもとでの「戦後民主主義」に対する蓮實氏の姿勢にも関わっています。前著の後書き(「犬のような批評家の肖像」)でも触れたように、蓮實氏はかつてミシェル・フーコーを「猿」と形容したことがありますが、最近のインタビュー(「ミシェル・フーコー『The Japan Lectures』をめぐるインタビュー」、『群像』2024年3月号掲載)ではフーコーの「猿」とともに、現在上皇の地位にある当時の皇太子について蓮實氏も含む学習院の同窓生たちが「茶豚」と呼んでいた、というエピソードを語っています。この比喩自体、徴付きの人間に対する差別を含むやや問題含みなものですが、前天皇に対して「尊敬の念などまったくいだいてはおりません」という蓮實氏の発言は単なる天皇制批判ではありません。むしろ学習院に子弟を通学させていた貴族層が古代より天皇制の中核を構成するグループであったと同時に、つねに天皇の潜在的な政敵であり対抗勢力でもあったことを想起するべきでしょう。丸山眞男をはじめとする戦後知識人による天皇制批判がその核にある「神道」に届いていない、という蓮實氏の評価は、おそらく彼自身もそこに属していると自覚している政治権力の実体への理解をまったく欠いている、という意味に捉えるべきだと思います。「茶豚」というあだ名には、民主主義における平等というタテマエをはみ出す、御恩と奉公あるいは「忠誠と反逆」といった臣民と主人の関係よりもさらに根深い天皇制への包摂が含意されているのです。

学習院の生徒らが「茶豚」というときに感じていたであろう隠微な共犯性とはまた別の意味ですが、私自身も学生時代にクラスメイトからブタを意味するあだ名で呼ばれていました。それは肉体的に太っていたというだけでなく、民主主義的タテマエとしては存在してはならないはずの婚外子、私生児、非嫡出子であることにもかかわっています。母子家庭で育った私は東京・品川の区立小学校から横浜市内のカトリック系私立中高一貫校、ついで慶應義塾大学へ進学しましたが、当時の同級生や大学の附属高校出身の内部進学者には、今でも会うと「ピギー」という意味のあだ名で呼ぶ者たちがいます。そこにはブルジョアジーの隠された差別の享楽があるはずですが、私にとって興味深く、また意外でもあったのは、神奈川県内の裕福な中産階級の子弟である彼らがピギーと呼ぶのを躊躇わなかったのに対して、男女共学の公立中学・高校出身の友人たちが決してそのあだ名を使わなかったことでした。友人を公然と「ブタ」呼ばわりすることがどういうことなのか、学力も性別も社会階層も様々な生徒が集まる公立学校の出身者たちは敏感だったのです。一方、富裕層に属する人間の鈍感さと無自覚な残酷さというのを、私はそのように学んできたと思います。

法制度的また経済的な問題としての私生児という主題に直面したのは、父親が亡くなった直後、父親の正妻およびその子どもたちとのあいだで遺産相続をめぐる係争が発生したときでした。家庭裁判所の仲裁の結果、私は父親の遺産の一部を相続することになった一方で、相続を放棄しなかった私的制裁として父方の祖父母を含む親族から絶縁されました。この経験は『存在論的中絶』におけるリベラリズムと継承という問題とじかに繫がっています。

とはいえ、当時の私にはこの主題について思考する手がかりがほとんどありませんでした。かろうじて中上健次がいましたが、中上が私生児を「父親」との血縁関係において描いていることに違和感を抱いていたのです。中上にとって父親が息子と対立する存在だったとするなら、私にとっての父親は「不在」として、あるいはむしろ「環境」のようなものとして遍在していたといえるのかもしれません。弁護士だった父親には私が大学を卒業するまでの養育費と教育費を支払う金銭的余裕があり、私はそのおかげで費用のかかる私立の学校に通うことができました。父親が私たち母子の暮らすマンションを訪れることは月に一度あるかないかでしたが、私自身は馬鹿げたことにどの家庭も父親というのはそのようにたまに自宅に帰ってくる存在であると信じて疑わなかったのです。その意味では、人工的な環境としての父親とでもいった存在様態を20世紀後半の「レイトモダン」と住宅建築という主題で論じたのが『錯乱の日本文学』であるといえるかもしれません。

おそらく私は「批評」を書き始めた当初から現在まで、己の足元に穴を掘っては埋め戻す作業を繰り返してきただけなのでしょう。それは批評というよりも、個人的な体験にもとづく省察であり、エッセイというジャンルに含まれるべきものです。ジャック・デリダに倣って「自伝的欲望」と呼んでもいいのかもしれません。私が密かに思い描いていたのは、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』やゴダールの『JLG/自画像』、そして『映画史』でした。それらはアカデミックな研究とは無縁な、自伝的なフィクションとして構想された芸術史の試みです。あるいは音楽や映画に仮託された個人史というべきでしょうか。批評を自称しながらその内実が「自伝」にすぎないのであれば、批評を名乗ることは一種の(『政治的動物』で主題化した)「擬態」です。批評をハッキングしたのだと内心ひそかに自負していますが、研究者から理解されなかったのは当然でしょう。読むことにかんして敏感な批評家たちも、そのことを察知したからこそ私のテキストに触れようとしないのかもしれません。

もしそのような自伝的な批評という方法があるとすれば、それはロラン・バルトが晩年に語った「アマチュア」というあり方であると思います。バルトはみずからの愛の対象としてのシューマンやプルーストを論じていますが、それらは決して論じる対象を所有することではなかった。研究者が自分の業績として研究対象を所有するとすれば、バルトは美術館で絵画を眺めるように眼差しでそっと触れるとでもいいましょうか、その繊細なタッチをバルトは「愛する」といったのですが、私もまた論じる対象を所有することなく、バルトのような「愛」でもなく、つねに対象と言葉とが交叉する瞬間の花火のようなものを目撃しようと試みてきました。その花火が「建築」であり、「動物」であり、「中絶」だったのです。

生死を横断する位相

髙山 『存在論的中絶』にも収録される、『群像』2021年7月号に発表された批評「ヴァイオリニストと猫」で、石川さんは、自分自身の母親が2回人工中絶をしていることを叔母から聞いたエピソードを告白しています。このようにあります。「わたしの母親はわたしを出産する以前に二度、人工妊娠中絶をしている。このことをわたしはわたしの叔母――姉が出産するまで一緒に暮らしていた――から聞かされた。ただしそれが事実であるのかどうか、母親に確認したことはない」。これは自分自身の生誕にかかわるある種の謎にかかわる事柄だと思いますが、それは小説あるいは歴史という形態が孕むディスクールの性質の問題とも関わってくるように思われます。『政治的動物」の序盤でも、村上春樹の『騎士団長殺し』等を例に書かれていた、小説における間接的な伝聞とエピソードの不確実な信頼性です。確かめようがない地点に近づくことは、先ほど言われていた「自伝的欲望」とどのように結ばれていますか。

石川 三島由紀夫の『仮面の告白』は、よく知られているように主人公が自分の誕生したときの光景を記憶していると強弁するエピソードで始まります。もちろんそれは噓なのですが、主人公の「私」はその噓を真実であると言い張る。以前、私は三島論(「『鏡子の家』の犬、あるいは崇高なる空位」)で『文化防衛論』の2・26事件をめぐる筆致を「レイプ犯罪者の言説」と評しましたが、「磯部は女性を姦した一時に、たしかにある手応えを感じたのだ」という三島本人の言葉と『仮面の告白』の「私」の叙述は、ある女性的な対象をみずからの視線のもとに支配したいと意志することにおいて男根的であり、かつその男根的真理によって対象を刺し貫きたいという欲望においてほとんど同一であるといえます。異なるのは『文化防衛論』が作家のエッセイであるのに対し、『仮面の告白』があくまでも「フィクション」にとどまるという点です。つまり前者は作家自身が真実である(噓ではない)と主張する点において「排他的」であるのに対して、後者はそもそもその言葉の連なりが真実とも噓ともつかないという意味で「包括的」なのです。

私はフィクションのもつこの包括的な性質を『存在論的中絶』で「可能的」あるいは「存在論的」と呼んでいます。セルバンテスからベケットにいたる近代小説は、つねにこうした「可能的なものの領域」を開示してきました。スピノザが『エチカ』第三部・第四部で人間の感情の総覧として分析したのも実はそうしたものです。

一方「中絶」という語は、本書では人工妊娠中絶のみならず自然流産も含む一義的な概念として使用しています。つまりタイトルは中絶の存在論的な一義性を強調しているわけですが、存在論という用語がマルティン・ハイデガーや東浩紀氏の高名なデリダ論を連想させかねない点にはやや躊躇がありました。企画を立てた当初は「存在論的中絶論」という仮題だったものが、編集者との話し合いの中で「中絶の哲学」や「中絶の哲学史」等々と紆余曲折したすえに現在のタイトルに定まったのですが、その決断に際しては昨年2月21日に本論を入稿した後に刊行された市田良彦氏の『フーコーの〈哲学〉』(岩波書店、2023年)に影響を受けています。市田氏は「あらゆる存在論はフィクションとして分析される」フーコーの言説について次のように述べています。「「フィクション」の語は、真偽の区別に先行して偽があるという順序と事態を一言で語っているだろう。「偽の存在」が「真の存在」に先行する。真偽の区別に先行する偽がある。「フィクション」が現実に先行し、現実を可能にする。それが「いかにして」であるかを解くのが(中略)フーコーにとっての「存在論」という問題ではないのか。そしてその「いかに」が、「噓をつく」ではなく「ほんとうのことを言う」であるという逆説――偽が先行するにもかかわらず最初に真を言わねばならない――を、「真理の言説の存在論」は問題にするのではないか」(117頁)。

つまり「存在論」はあくまでもフィクションとしてある、ということだと思います。真偽という対立を可能にする偽の領域を「フィクション」と呼び、そこにおいて真理を語る方法が「存在論」としての「パレーシア」である。これに対して「真理は実在する」とする古典的形而上学の代表としてアリストテレスとスピノザをフーコーは挙げているのですが、それはまさしく『存在論的中絶』でアリストテレスからは「偶然(テュケー)」を、スピノザからは「可能性」という、いずれもその哲学体系においてネガティブな位置づけをなされている主題を抽出して展開するという私自身の「誤読」と一致するように思われました。

『仮面の告白』の「私」は「真理は実在する」という確信のもとに語りながら、しかしその語りがフィクションであることによって、語られている内容が真実ではなく仮のものであることが担保されている。一方、私が書いたのはエッセイですから、その虚構性はなんらかの理論的装置によって担保しなければならない。その一つはカトリーヌ・マラブー氏が「破壊的可塑性」といい、江川隆男氏が「自殺」と呼んだ、生死を横断する位相をめぐる考察です。胎児だった「私」と、成長し年老いた現在の「私」は同じ人間ではない、むしろ生きるとはたえず別の人間に変容することであり、死を横断し続ける経験であるということです。もう一つは「シュレディンガーの猫」という寓話に象徴される量子論的で確率的な考察です。理論と観測を分離できない経験科学的な輻輳としてこの「私」は存在し、胎児である「私」と現在の「私」とは決して分離することができない、ということです。この二つの命題はたがいに矛盾し、どちらが真でどちらが偽なのかを確定することはできない。それ自体がなかば真であり、なかば偽なのです。

私という生命が「生命の発生」について論じるというパラドクスはいかにして可能となるのか。それを語るのが存在論的なフィクションであり、それをフーコーのように「パレーシア」と呼べるかもしれません。パレーシアとは「クローゼットから出る」ことではなく、「実在する」ことに抗って自己をあらしめる存在論のことだからです。

長谷川 石川さんはここで中絶擁護のために生そのものとは何かを問うています。「非平衡的開放系」としての地球におけるエントロピーにおいて生を再定義する強靭な思考の深まりは戦慄的ですらありますが、それが「無限判断」論として展開されるところが重要です。そこでは生命は物質の無限判断であるとまでいわれています。そこから自由意志の批判として中絶擁護が導かれます。いま、いわれた可能性の問題もそこにかかわりますね。

石川 カントによれば自由意志は「自然の法則」の例外であるということですよね。つまり自由意志が存在するという人は、自分が自然法則の例外としてある特権的な主体であると言いたいのです。現在ならば一般市民から隔絶した資産の所有者であるテック企業の社長が口にしそうな誇大妄想ですが、己を特別な主体であると信じている点では私たちも彼らとそれほど大差があるわけではない。むしろ加速主義者が主張する所有や継承は、歴史的に構築されてきたある種のリベラリズムの思考の延長上にあるといってもいいのでしょう。それがどのような哲学的あるいは科学的な装いを取ろうとも、私たちが自然の例外として自己を把握するのはなぜか、そのように捉えられる主体とはいったい何なのか。

これについては数年前、石川求氏の『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018年)を読んで、考える糸口が摑めた気がしました。今言ったように例外としての主体という考えが何に根拠を求めるのかといえば、『純粋理性批判』の第三アンチノミーと呼ばれるものですが、それは主体を真無限として捉えることとパラレルなのではないか。第三アンチノミーでは「自然法則が唯一の原因性ではなく、自由による原因性が想定される」という定立と、「すべては自然法則にしたがって生起する」という反定立がたてられ、カントは「どちらも真でありうる」とした。しかしカントの厳格な哲学的思索と違って、私たちは生活したりものを考えたりするうえで、この互いに矛盾する定立と反定立を、その場の状況に応じてあるときは定立を、あるときは反定立をというように機会主義的に口にしているだけなのかもしれない。そんな茫漠とした主体が「絶対精神」のような首尾一貫した全体を形成するはずがない。私たちは皆、ジル・ドゥルーズが「内在――ひとつの生……」で引用したディケンズの描く死にかけた悪漢のようなものです。私は世界の無限として一瞬あらわれ、消滅する。それは多重人格(解離性同一性障害)のような病理的なものではなく、私たちの当たり前の存在のありようでしょう。なるほど私たちの思考は無限でありうる、しかしそれは「魂は可死的ではないものである」のと同様に、たんなる有限ではない無際限さとしてあるにすぎない、ということです。こうした思考の無際限さは、物質の無際限さと並行している。両者の存在様態は異なるものの、にもかかわらず本性において一致している。

しかしこうした思考と物質の並行論の根拠に「神」を持ち出すことはできない。神は目的論的な究極の意味または「大文字の他者」と言い換えていいかもしれません。神という実体なくして思考と物質が無媒介に結合してしまう事態は「精神は骨である」という無限判断として表現できます。これはヘーゲルが『精神現象学』で長々と分析している言明ですが、石川氏はヘーゲルの無限判断がカントのそれとも通底していることを指摘しています。ヘーゲルはこの無限判断をディドロの『ラモーの甥』の音楽家の正気の沙汰と思えない言動と同じく、フランス革命前夜の混乱を表象する言葉とみなしている。神において精神と物質が一致するのを保証するのが「人格」ならば、神なき世界で精神と物質を併存しうるのは人格なき「白痴」でしょう。私は自分を白痴だと思っていませんが、以上の論理からして私以外のすべての人間が必然的に白痴である以上、私自身もまた白痴であると考えざるをえない。もちろん信仰をもつ者は「神は実在する」と考えるのでしょうが、信仰とはすでに神の不在の否認にすぎません。自由意志もまたそれと同様の否認にすぎないのです。

第二波フェミニズム以降、人工妊娠中絶が女性の自由意志によることは、それに賛成する者からも批判的な立場からも自明視されてきました。しかし自由意志の存在が哲学的にまったく判明ではないならば、人工妊娠中絶という行為自体の根拠をそこに求めることはできない。私は、人工妊娠中絶が道徳的な「悪」と呼ばれる行いなどではないことは直感的に明らかだと思ってきました。先ほど髙山さんに指摘していただいたように、私の母親はおそらくは人工妊娠中絶の経験者であり、それなくして私が誕生する可能性はなかった。私の思惟はこの条件から出発し、それを否定することはできない。少なくともそれ自体が道徳的な評価の対象とはなりえない。私にとってはむしろ中絶を道徳的に裁くことができるとみなす思考の方法が問題なのです。「選択的中絶」といわれる胚の時点での優生学的な選別ではない、やむをえない人工妊娠中絶がありうるはずだし、選択的中絶の場合であっても中絶が本性的に悪なのでなく、むしろ問われるべきはそれに伏在する優生思想である。ただし優生思想と呼ばれるものは単に19世紀後半の科学の発明であるにとどまらず、ほとんど哲学という営為の開始と同時に始まり、私たちの思考の奥底に根づいている。

だとすれば、自由意志によらない人工妊娠中絶の論理を構想する必要がある。必要があるというのは、誰よりもまず私自身にとって、という意味です。そしてその自由意志ならぬ中絶の意思は無限判断や可能性の問題に紐づいている。人工妊娠中絶だけでなく流産や不妊、さらに自殺や他殺をも包含する「中絶」という概念をたてて生の条件としたのには、そうした意図が含まれています。

自然選択と性選択

長谷川 そこでこの本では自然選択に対するものとして性選択が中絶擁護の決定的な論拠になっています。

石川 鳥類学者のリチャード・O・プラム氏は進化生物学で長いあいだ性選択説が「口外を憚れる気のふれた身内扱い」されてきたと述べています。ダーウィンが『人間の由来』で性選択説を前面に打ち出した仮説を提示した当初から、性選択説と優生学には切っても切れない繫がりがあると考えられてきました。性選択はナチズムに直結する優生学的な手段とみなされてきたのです。そこで想定されていたのは、両性の人工的な交配によって種に「進化」をもたらそうという人類の家畜化にほかなりません。しかしプラム氏は性選択が最適者生存とまったく異なる進化のメカニズムであると主張しています。たとえばカモのメスはオスによって強制的に交尾されても、その精子を排除する仕組みを備えています。つまりカモのメスは好まないオスに「レイプ」されても意思的に避妊できるというのです。それはいわば生得的な人工妊娠中絶の機能です。

プラム氏の『美の進化』(黒沢玲子訳、白揚社、2020年)はヴィンフリート・メニングハウス氏の一連の進化論と美の理論をめぐる仕事でもたびたび参照されていますが、今日のダーウィン進化論の主流、さらにそれを批判したスティーヴン・ジェイ・グールドの説やエピジェネティクス、分子進化の中立説などとも明らかに異なる傾向をもっています。進化をある種のアルゴリズムにもとづく統一的なメカニズムとみなすのではなく、そこに生物個々の意思が介在しているという主張だからです。しかもその意思はわれわれ人類よりも、むしろ鳥類などで効果的に作用している。私はこの仮説が自由意志に依拠しない中絶の論拠として強力な理論的支柱になると思いました。あるいはアントニオ・ネグリのいう「愛」が想起されるかもしれませんが、『存在論的中絶』での性選択は「共」であることにとどまらず、そこからの変異と切断も意思的にもたらすものです。そのためには性選択説を異性愛の範疇に収めるのではなく、フロイトの「死の欲動」を繰り込んだ汎性愛的なものにまで拡張する必要がある。ただしフロイトの目的論的な志向を拒否し、さらに性愛を拒否する性的指向であるアセクシャルをも含む包括的な概念として、ということです。たとえばヘンリー・ジェイムズの短篇小説「密林の獣」の主人公ジョン・マーチャーがメイ・バートラムに告白しなかった理由を彼のホモセクシュアリティに帰する読解があります。しかしジョン・マーチャーは性愛を指向しないというアセクシュアル的な性的指向において死と直面したのだと私は考えています。このカップルの生にはメルヴィルの「書記バートルビー」の「しない方がいい」という選好しない選好と似たところがあるのです。

自由意志に依拠しない主体というのは、私たちが通常想定しているような人間的な、もしくはリベラリズム的な主体からかけ離れたものとして想定しなくてはならないはずです。それはアイデンティティに基づく主体の形成ではない。私たちは皆たえず「現在進行形の死」を生きつつある、死の超越論的な作用のもとで生きている、ということです。そうした主体を「白痴」と呼んでも「ゾンビ」と呼んでもかまわないのですが、いずれにせよそこではじめて人工妊娠中絶と障害者という主題がある共通の理念において語りうる言説が見出せるはずだ、という見通しがありました。

「青い芝の会」

長谷川 そこを論じるときに「青い芝の会」の横田弘さんがとりあげられています。ここもこの本の重要な焦点です。

石川 人工妊娠中絶と優生思想というテーマを掲げたとき、1970年代初頭に「青い芝の会」が投げかけた問いは、それから半世紀を経た現在でも避けて通ることのできないものだと思います。その後、医療技術の分野で受精卵診断や選択的中絶が発展を遂げましたが、それらが優生思想をかつてとは別のかたちで延命させ、むしろ社会に深く根を下ろしている。このことは別の言い方をすれば、レイプなどによる妊娠の場合に緊急避難的に実施される「必要悪」としての人工妊娠中絶以外に、優生的ではない中絶がありうるのか、という問いになります。もしありうるとしても、それは必要悪と優生思想のあいだで許されたニッチな例外にすぎないのか、と。

人工妊娠中絶が必要悪ではなく、生物が生存するための普遍的な条件であることは性選択説から導くことができる。しかし青い芝の会が声をあげはじめた当時よりも事態がさらに悪化していると思われるのは、ロングフル・ライフ訴訟が典型的に示しているように、ある意味で障害者自身が障害を害悪であり損害であると考えている、あるいはそう考えるよう強いられているからです。そうした傾向を先導しているのがリベラリズムであり、さらにその延長上にあるネオリベラリズム(権威主義的ネオリベラル主義)である、というのが『存在論的中絶』で立てた見取り図でした。その根源には、アリストテレス以来ほとんど変わっていない自然の把持がある。とりわけ自然が可能態から現実態へと発展するとみなす一種の目的論的な構図においてです。この構図の中では、植物の種子がやがて成長し、花を咲かせるように、可能態が現実態へと成長し、成熟することが自然の常態であるとされる。私たち人間はすべてそうした潜在性を有しているというわけです。そのことは障害者が通常の意味で成熟することができない、したがって自然のうちで劣った存在である、というヒエラルキーを正当化することに繫がる。

でも、それは逆ではないか、と私は思います。可能性が実在するということは、もともとそれが現実化しえないことを前提にしているのではないのか。つまりアリストテレス的な可能態あるいは潜在性といったものとは異なる可能性の条件を思考しなくてはならない。たとえば私たちは他の動物を私たちより知能が劣っていると考えています。私たちは自力で空を飛べないことを障害だとは捉えていませんが、鳥類からみればそれは欠如であり障害であるかもしれない。私は現時点では目立った身体的障害をもっていませんが、しかし横田弘のように詩を書くことはできない。つまり私たちそれぞれにとって可能性というのは個別にありうるし、単に異なる可能性と不可能性を抱えているにすぎない。いうなれば障害のある生が本来的なもので、その逆ではない。彼の行動と発言はそのことを示唆してくれているように思われました。

長谷川 横田さんと青い芝の会のもうひとりの中心である横塚晃一さんとの対比がスピノザとヘーゲルと類比して論じられていますね。車椅子の使用を「死の越境」として論じているところにも驚きました。

石川 これは当事者ではない私の勝手な憶測ですが、実際に障害者運動に携わっている関係者のあいだでは横田弘よりも横塚晃一のほうが高い評価を受けているという印象を受けます。障害者の社会的地位の確立と向上という点では、確かに横塚の「承認」の闘争のほうが具体的な指針を示しているのかもしれない。一方、横田の言葉にもまた苛烈な闘争的な側面が強く感じられますが、それはむしろ現実のありように対する根源的な「批判」なのだと思います。そうした批判が今、社会でも知的な営為においてもほとんど失われている。

昨年、『文學界』新人賞を受賞された市川紗央氏の「ハンチバック」が広く話題になりました。これは作者自身が障害を抱えているという立場から現在の社会を照射した、稀有な小説だと思います。また、書物を読むという体験そのものが健常者を優位とする社会で構築されているというそこでの批判も、読書や教育を無条件に善であると考えがちな知識人や文学者に対して「知」のあり方への原理的な反省を促すものでした。しかしそうした批判ですらネオリベラリズム社会からの致命的な圧力を避けえているわけではない。「ハンチバック」の主人公の女性はケア施設を所有する富裕層に属する障害者という設定です。彼女は理由もなく人工妊娠中絶をすることを願っているのですが、偽悪的な挑発ともいえるそうした欲望は、ロングフル・ライフ訴訟の原告のように、あるいは横田弘が健常者の製作した車イスの使用を肯定するように、ひそかに社会に同化する「擬態」です。この擬態を通じて彼女もまた「死の越境」をなしているといえる。しかし同時にそれは人工妊娠中絶を本当に必要としている貧困に苦しむ現実の女性の存在を隠蔽することでもある。しかもこの聡明な作者は、そうした擬態こそ世間から「文学的」に高い評価を受けるポイントであることをよく理解している。実際、小説的な技巧以外の倫理的な側面でこの小説を批判する評論は皆無でした。彼らはこの小説が一見すると挑発的でありながら、実は社会に対して妥協的で愛想のいい側面において評価しているにすぎません。

『存在論的中絶』という本は「人工妊娠中絶と障害」という重いテーマの最終的な解決策を提示しているわけではありません。そんなものは存在しません。そうではなくて、この問題がなぜ解決困難なのか、そしてなぜ私たちの生と深いかかわりがあるのかを問いかけているなのです。

存在は善でも悪でもない

長谷川 連合赤軍論(「第三章 「便所」をめぐる闘争」)ではエントロピー論をひきながら、健常者であるわたしたちも「本来あってもなくてもかまわない存在である」といわれていますが、そこにもかかわりますね。

石川 そもそも存在することが善であるかというと、それは全く違うと思います。また、存在することは悪であるという反出生主義の主張も(カントの言葉を借りるなら)「独断的」である。生命というかたちで存在する私たちが、生命や存在に関して客観的で規範的な真理を語ることができるとは到底信じられないからです。真理は己がすでに巻き込まれている主観的な蓋然性としてしか判断できない。唯一いえるとするなら、私たちは死すべき存在として皆平等であるということくらいでしょう。もし健常者と障害者の存在を「善悪」という基準で測るなら(それ自体が馬鹿げたことだと思いますが)、その差はドゥルーズがスピノザについていったように「連続的変移」としてあるとしかいえない。私が横田弘のように詩を書けないことをなぜ障害と呼ばないのでしょうか。車イスに乗ることとメガネやコンタクトレンズを着用することは、身体の障害の程度の違いでしかないのに、私たちは前者のみを障害とみなしている。ALS(筋萎縮性側索硬化症)はある程度進行すると人工呼吸器を装着しなければ呼吸できなくなりますが、車イスや人工呼吸器を使用することがメガネをかけるのと同じように当たり前のことになるように医療の進歩や社会のあり方の変革を願うべきです。

革命とは何か

長谷川 いまふれられたALSでありながら統合失調症者でもあったご友人の孤独な死をめぐる記述には読むものを震撼させずにおきません。この世界とはそのご友人をおいやる体制でしかない。石川さんは自殺は他殺であるといいながらも、また自殺を擁護する議論をしりぞけながらも自殺の再考をうながしているかのようです。そこでこの本では革命は自殺であるという言葉も出てきます。端的にいって石川さんにとって革命とは何でしょう。

石川 青年期に統合失調症を発病し、ALSで亡くなった友人について書いた箇所は、強く感情的で混乱しているように読めるかもしれません。しかし彼の死をめぐる出来事がこの本を書くことになった根本的なモチーフでした。私がそこで「革命」と呼んだのは彼の生を記録するという「喪の仕事」とともに、そこに仮託した私自身の怒りの感情です。この本には書けなかったことがあります。彼の父親は広島出身の被爆者であり、亡くなるまで身体の不調を抱えていました。もちろん何のエビデンスもありませんが、ドゥルーズがゾラ論に記した「遺伝」という意味においても、私には今でも彼の発病が原爆と無関係だったとはどうしても信じられない。

私はこれまで左翼知識人から散々「お前なんか左翼ではない」と直接間接に言われてきたので、そのような男が『HAPAX』で「革命」を語るなど噴飯ものだと思われているでしょう。私もそのことを否定しませんが、横田弘は『障害者殺しの思想』(現代書館、2015年)で次のように記しています。「「革命」の中で確立した「障害者」の位置付けがなされない限り、はっきり言うならば、寝たきりで食事から排泄まで人手を煩わさなければならない人たちを人類の中にどう位置づけるか、という作業がなされない限り、その「革命」はすでに堕落への道を歩み始めたと言っても過言ではない」。

私が革命という言葉からいつも連想するのは、昔読んだボルヘスの「疲れた男のユートピア」という短篇小説です。そこでは話者が未来の大平原にタイムスリップして出会った名前のないひとりの男と話をするのですが、その男によればこの世界には金もなく、貧富もなく、都市も博物館も図書館もない。政府はずっと昔に廃止された。もはや誰一人選挙に行かず、新聞も発行されなくなった、財産を没収されても逮捕されても誰も政府に従わなくなったのです。なにがきっかけなのかわかりませんが、すべての人々が不意に一斉に社会から退隠してしまったような、そんな情景です。誰かが自己のうちに退隠する、しかもその退隠はウイルスが感染するように周囲に感染していき、あとには無人の廃墟のような空間だけが残されている……。

これは晩年に視力を失ったボルヘスが抱いた、ごく退嬰的な夢想にすぎないのかもしれません。社会の穏やかな消滅、エントロピー増大の果ての平衡状態です。ここには革命の新たなモデルを呈示されているわけではなく、「終わり」は「始まり」でもあるというrevolutionが含意する「円環」の神話を示唆しているわけでもない。生と死の交換を意味する「犠牲」という含みもない。要するに純然たる社会の「自殺」にすぎません。しかし自殺は自己を死体に変化させることではなく、その本性を変化させることでもある、と『エチカ』の死と死骸をめぐる記述に即して江川隆男氏は述べています。革命が国家や社会の本性を変化させることなら、そこで変化するべきなのはその本性を形成している私たち自身です。革命ののちに新たな国家や社会が成立するのなら、その本性を形成するのは私たちや私たちの子孫ではない。私たちがまるで失明したように、あるいはALSの主体のように自らのうちに退隠したのち、無人のまま取り残された空間を占めるべきなのは、私たちとは異なる別の誰かでありなにかであるはずです。それが移民であり難民であり、あるいは人間以外の別の「種」であったり、生物ではない人工的な生命であったとしても私は驚かないでしょう。なぜ革命の受益者が私たち自身でありえるのでしょうか? もし私たちの社会が死に値すると考えるのならば。革命が自由の経験としてあるというなら、それは私たちにとっての自由ではない。

自由はエントロピーの増大が向かう平衡状態のことです。こういうと私は自由もしくはエントロピーの法則を(輪廻からの)解脱という意味に誤解していると批判されるかもしれません。ニーチェのいう仏教的なニヒリズムです。しかしエントロピー増大の不可逆的な過程はあくまでも経験的な概念であり、かならずしも必然を意味していない。私の宇宙がこうではない可能性はあった。骰子の一擲はけっして「可能的なものの領域」を廃棄しないでしょう。私たちの自由は私たちとまったく異なるものたちのための自由として、可能性として保持されているのです。

フランス革命にせよロシア革命にせよ、革命と呼ばれる出来事は人類が「成熟」に向かう過程で起きた大きな物語の一部とみなされてきました。1848年や1968年の革命のように、それ自体としては失敗だったものの、政治、経済、社会、文化のあり方を不可逆的に変容させてしまった出来事として語られる場合もあります。いずれにせよ革命は数年あるいは数カ月、もしくはほんの数日といった歴史の中の一瞬の祭典のようなものとしてイメージされている。しかし私はむしろ11世紀頃の西ヨーロッパという一辺境で開始され、やがて汎地球的な規模での急激なエントロピーの増大をもたらし、現在がその最終的な段階にある、ほぼ1000年に及ぶ拡大と自己変容の運動として捉えてみたいと思います。それは最終的に物質をエネルギーに解放する核兵器というかたちをとりました。つまり必ずしもなにか善きことの到来ではない。これは農耕革命や産業革命といった場合の革命概念に近いでしょうし、なんなら「文明」と呼んでもかまわないのですが、左派はこの語彙を好まないでしょう。私自身も文明という概念が一種の「進歩」史観を含んでいると感じられる(1970年大阪万博の「人類の進歩と調和」という標語をすぐに思い起こします)ので用いませんが、しかし革命という概念が今や「終わり」を含意するのは不可避ではないでしょうか? 「資本主義の終わりを想像するよりも世界の終わりを想像するほうが容易だ」という人口に膾炙した警句から理解できるのは、それが「終わり」という観念を忌諱しているということだけです。

私たちが現在直面しているのは黙示録的な「世界の終焉」ではなく、人類がこれまで形成してきた一つのプロジェクトの最終局面にすぎません。文明という観点でみるなら、人類はこれまでも数百年ごとに気候変動や疫病その他の原因によって文明の崩壊を経験してきたし、今回の危機もその例外ではない。たまたま現在の私たちの文明は人類史上かつてない汎地球的な規模に拡大してしまったから、それがすべての「終末」に思えるというだけにすぎません。しかし「終わり」が到来したところで、人類が絶滅するはずがない。たとえ核戦争が起きたとしても、人類の過半数以上は当面生き延びるでしょう。私はその後の生について本気で考えるべきだと思っているのです。

「可能的なものの領域」

長谷川 マルクスやエンゲルスと違う革命のモデルはバートルビーであり、ベケットです。これは資本主義の排除的選言命題に対する包括的選言命題でもあります。そこでも「無限判断」が、「異なるものの永遠回帰」あるいはゾラ的な「裂け目」としてとりあげられます。このあたりについてお話いただけませんか。

石川 カントの無限判断「魂は可死的ではないものである」も、ヘーゲルの「精神は骨である」も、彼らがそれらの命題に与えた意義はともかく、その文意はどちらも「死」を暗示しています。ヘーゲルによれば類が共通ではない主語と述語の無媒介的な結合が無限判断ということになりますが、中絶はまさにこの無限判断として考えられるのではないかと思います。それがゾラの『獣人』についてドゥルーズのいう「裂け目」であり、生と死の無媒介的な結合の経験なのです。

通常、ヒトが成長し成熟するということは「主体化」や「個体化」という言葉で説明されます。一人前の市民として社会で生活するようになることが主体化と呼ばれる、あるいはジルベール・シモンドンのように準安定状態としての存在の生成として個体化が論じられたりもする。ですが私が考えているのはそれらとまったく別のこと、私たちの生そのものが生死の無媒介的な結合で始まり、無媒介的な分離で終わるということです。私たちの生はつねに主観的な確率として生死の入り混じった状態にある。それはなかば隠喩ですが、なかばそうではないのは、私たちが全員いずれ死ぬからです。要するに生は最初から最後まで自己が非個体化する過程としてある。その意味では人工妊娠中絶と私たち自身の生死が何も違うところはなにもないのです。違いはその死に含まれる生の濃度だけだといってもいい。

そうした人生の時間を空間的に表現したのが「可能的なものの領域」です。先ほど触れたようにそれは「フィクション」あるいは「存在論的」とも言い換えられると思いますが、ただし潜在性とは異なります。潜在的なものは、それが現実に完成することを含意しているのに対して、可能的なもののごく一部は現実的なものに生成しますが、それ以外は可能的でないものにとどまります。これはカントの無限判断における「可死的なもの」と「可死的ではないもの」の関係とも一致している。

ドゥルーズの晩年のベケット論では「可能的なもの」という、おそらくそれまであまり言及されてこなかった(ベーコン論でわずかに触れられている)概念が唐突に前景化されています。しばしば潜在性の哲学といわれたドゥルーズの思考の本質とそれがどのような関係にあるのか、私は長らく不思議に思ってきました。しかし障害という問題を考えたときに、可能性という概念が不意に肯定的に捉えられる気がした。ですから、その小論のタイトルに掲げられている「消尽」という経験を私なりに展開してみたのが「存在論的中絶」である、といえるのかもしれません。

長谷川 この本ではスピノザが核心をしめています。

石川 スピノザは死を考察するのは馬鹿げたことだと考えていました。ですが『存在論的中絶』では、ニーチェがいうように生を死の稀有な一種とみなすことを通じて『エチカ』の読み替えを自覚的に行おうとしています。その一つが、今申し上げた「可能性」への着目です。可能性は偶然性ともに『エチカ』では消極的な位置づけしかなされていませんが、私の本ではそれを無限判断と接合することで核心的な概念としました。もう一つは『エチカ』をスピノザのパレーシアとして読むことです。

私が『エチカ』を読み進めていくうえで大きな手がかりとなった参照先の一つは江川氏の『スピノザ『エチカ』講義――批判と創造の思考のために』(法政大学出版局、2019年)ですが、この本はスピノザが人間の経験論的な感情や欲望を扱った『エチカ』第三部から解き起こし、第四部・第五部を経てから第一部・第二部を論じるという変則的な構成で書かれています。これは私のような初学の者に配慮して、いきなり神について定義が下される第一部のとっつきにくさを和らげようという意図であると思われますが、このことは同時に人間を含む存在一般を「永遠の相のもとに」包括的に記述しようとする『エチカ』を別の側面から読むことにも繫がるのではないでしょうか。つまり、ユダヤ教共同体から破門され、キリスト教徒たちからも長らく無神論者として忌み嫌われてきた(その一方でジョナサン・イスラエルのいう「急進的啓蒙」の先導者とみなされてきた)スピノザのテキストと論理そのものにマラーノ的ともいえる特異な生の痕跡を見出すことです。あるいはそれと同じことかもしれませんが、「神」の定義から始まり「精神の自由」に至る『エチカ』の叙述を「真理」の認識の道程ではなく、フーコーのように「欲望」もしくはニーチェ的な「意志」のもとに読むことです。私にとっては『エチカ』はそのように読むことで存在の普遍性と私たち自身の個別性との特異な結合の仕方を示してくれたのです。

大江健三郎をめぐって

髙山 ここでは大江健三郎も論じられています。大江自身は、死に別れではありますが、父の不在であるとか、子どもが障害を持っているという体験を持っていました。そして2010年代に入ってからですが、インタビューを受けるなかで、長男である光さんがまだ小さい頃は、もし父親である自分が死んでしまったら残された彼がどうなるだろうかという観点から自分自身の死の不安が強くあったものの、光さんが50歳を迎えたあと、おそらく自分が死んでも、彼が悲しむようなことはもうないだろうとわかり、死の問題が解決したと言っていました。すでに石川さんは何度も大江について論じていますが、こうした要素に関連しての大江に対する関心や、さらには今回の中絶というテーマとの結びつきをお聞きしたいです。

石川 ミラン・クンデラが「偉大な小説の主人公には子供がいない」という面白い指摘をしています(「小説と生殖」『邂逅――クンデラ文学・芸術論集』西永良成訳、河出文庫、2020年)。ドン・キホーテや若きウェルテルに子どもはいないし、スタンダールやドストエフスキーの多くの主人公たち、そして『失われた時を求めて』のマルセルやカール・ロスマン以外のカフカの主人公たちにも子どもはいない。それは小説の精神が本質的に生殖を嫌うからだ、とクンデラは続けるのですが、この指摘は「可能的なものの領域」とは近代小説の歴史であるという私の論旨とも共鳴する部分があるように思います。しかし個人の実存を万物の中心に置くこれらの近代小説に対して、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』は個人が家族や共同体に溶け込んだ「諸個人の行列」を描いており、それゆえ『百年の孤独』は小説の歴史への「訣別」なのだ、というのがクンデラのエッセイの趣旨ですが、この指摘は大江健三郎の小説、とりわけ『個人的な体験』以降の長篇短篇の多くにも当てはまるでしょう。ただし大江はマルケスやクンデラよりもさらに錯綜した関係を小説というジャンルとのあいだに取り結んでいるようにも感じられる。そこで焦点化されるのが「父」という問題です。

父なる観念は息子を包含している、あるいは息子をもつことを前提にしています。しかし血縁という関係性において父親は、同時に己の父親の息子でもあるという両義性を孕んでもいる。『ピンチランナー調書』の父子のように、そこでは父親が息子であり、息子が父親であるという短絡(交換)が成立します。これは確かにクンデラがいうように、西欧の近代小説における個人主義的な個人のあり方に対する反措定でしょう。クンデラの視点は、ある意味でマルト・ロベールの「私生児」や蓮實重彥氏のそれにも近接していますが、とはいえ私生児は「不在の父親」というかたちで父なる観念をまだひそかに温存しています。父なる観念に含まれる息子との関係の必然性を切断しきれていない。私生児という概念の不徹底性は「戦後民主主義」と呼ばれる象徴天皇制と民主主義との曖昧かつ隠微な関係とも繫がっています。しかし大江の『水死』では、そうした父と息子の必然的であるかのような関係性を近代小説の「個人」に再帰することで極めて自覚的に切断しようとしている。ウナイコがもし出産していたら、その子は私生児ということになったはずです。しかし彼女は出産しなかった。それがウナイコの「キャンセル」であり人工妊娠中絶の意味です。

『百年の孤独』が邦訳された当時、この長篇の結末を安部公房が絶賛していたのを覚えています。しかしここまで描いてきた血縁的・地縁的な関係性はすべてフィクションにすぎないという結末の種明かしは、今日の視点からみると歴史修正主義的でもあり、かつネオリベラリズムにおける家族的な「継承」という主題とも切り離すことができない。一方、『水死』における人工妊娠中絶は、そうした大江自身も小説の方法論として積極的に活用してきた歴史修正主義的な継承の切断として機能している。これが大江の後期小説における最も両義的かつ危険なテーマだと思うのですが、近代的価値観の極限としての人工妊娠中絶は原子力テロと存在論的に同じ位置を占めている。私たちの社会はこの二つの問題について示し合わせたかのように口を閉ざしてしまいますが、それらはこの社会の中核に置かれたブラックホールのようなものです。そのことを小説というかたちで公然と指摘することができたのは大江だけだったし、それが理解されていないから大江の小説は今でも低く見積もられてすぎていると思う。間違いなく大江健三郎は現存する世界最大の作家だったのです。

長谷川 最近、江藤淳がまた論じられていますが、これもある種の継承体制、優生体制の強化ですね。

石川 『洪水はわが魂に及び』以降の大江の小説は「聖家族」的な親子の関係性を露骨に提示しています。しかし『水死』では、「長江」がエドワード・サイードの遺品として大切にしていた楽譜に「アカリ」が勝手にボールペンで書き込んでしまったことをきっかけに息子を「バカ」呼ばわりして、二人の関係はほとんど決裂してしまうわけです。これはまさしく継承の失敗といえるエピソードです。『存在論的中絶』ではここに触れられませんでしたが、大江の作品史における父と息子の関係の変容はきちんと論じられるべきだと思っています。ただし『百年の孤独』がネオリベ的世界文学のアイコンたりえたのと同じように、その後の「保守」の歴史修正主義化の論拠になった『成熟と喪失』の延長上にあるような図式で大江を論じるのは無理があるでしょう。1990年代以降、フィクショナルな共同体の再構成と継承という主題は、江藤淳の影響下にある加藤典洋や大塚英志らによってしばしば取り上げられてきましたが、『懐かしい年への手紙』以降の大江の小説はむしろそれに対する明確な批判として書かれているのです。

私自身は「父」を隠喩的に使用することをなるべく避けるようにしていますが、でも文芸評論家って、今のもっと若い世代でもわりと短絡的というか、当たり前のように「父」という比喩を使いますよね(笑)。そこには自分を仮想的な父子関係のうちに位置づけたい、江藤や柄谷行人を「父」とした「文学史」という家族の一員に加わりたいという欲望が露骨に表明されているのではないかと疑っています。

映画と建築

髙山 石川さんは、『ユリイカ』を中心に、映画についても少なくなく批評を書かれていらっしゃいます。ときには公開されたばかりの映画について、非常に克明な記憶にもとづいて分析が加えられている印象があります。『政治的動物』では、大江健三郎の『取り替え子』における映画メディアを論じる際に、ゴダール、シェフェール、蓮實を踏まえつつ、再構成不可能な痕跡としての現実が小説作品内にあると指摘されていましたが、石川さんにとって、映画とはどのようなものですか。

石川 まずお断りしておかなくてはならないのは、私がDVDやサブスクではなく映画館で映画的な体験を重ねた、それによって見ることを学んだ、おそらく最後の世代に属するということです。私が高校生だった頃には、日本ではまだDVDはおろかヴィデオ(VHS)すら一般家庭には普及していませんでした。私が10代なかばから20代前半を過ごした1980年代の東京では、新しい海外の映画を観たければシネ・ヴィヴァン六本木や有楽町のシャンテ・シネ、千石の三百人劇場といったミニ・シアターがあり、古い映画は銀座の並木座や池袋の文芸座でつねに上映されていた。しかもたまたま大井武蔵野館という今では存在しない名画座に自転車で通えるところに住んでいたので、自分をシネフィルとして特に意識することなく日常的に映画館で映画を観ていました。たしか盆と正月には映画マニア向けではない山田洋次の新作なんかもかかっていて、そういうのも観ていたと思います。マキノ雅弘の『次郎長三国志』を観ていて、ふと気づくと隣に山田宏一氏が座っていたときにはさすがに驚きましたが、そんな時代的な特権性を意識すらしていなかったということです。

ところが2001年1月にテアトル新宿で青山真治の『EUREKA/ユリイカ』を観おわったとき、映画が自分にとって「体験」と呼べるなにかであることが確実に終わった、と感じていました。現時点から回顧的に規定するなら、それは映画の撮影と映写がデジタル化される以前の時代の経験の終わりということです。このことをうまく言語化できないのですが、ひとまずこういう言い方をしてみます。私が『存在論的中絶』でデカルトの連続創造説の比喩として映画を持ち出したときに考えていたのは、ゴダールの映画が「1秒間に24回の死」であり、生が「現在進行形の死」であるという言葉でした。その一方で映画はなによりもまず「光」の経験である、と大井武蔵野館で初めて『パッション』を観たときから私はずっと考えていた。要するに編集と投影ということですが、これは『ユリイカ』大江健三郎追悼特集に寄せた論考(「引用と救済――『水死』における「プラトニズムの転倒」と自死」)で書いたように、民主主義と主権という主題にアナロジーが可能です。後期ゴダールの『映画史』において頂点にいたるこの流れは、特にソ連邦解体と旧ユーゴスラヴィア紛争をめぐる思考のうちに練り上げられてきたものですが、それはデリダの『友愛のポリティクス』から『ならず者たち』にいたる民主主義論とも並行している。

しかしこの、今日では牧歌的にすら感じられる問題設定に最初の亀裂が入ったのは、いうまでもなく2001年9月11日でした。そして2024年の現在、ゴダールが『イメージの本』で予言的に呈示したとおり、私たちはパレスチナにおいてその最終的な帰結を目撃しつつある。ですから『存在論的中絶』の執筆中にゴダールが自殺したのは、私にとっては「「映画の終わり」の終わり」とでも表現すべき出来事にほかなりませんでした。自分にはもう経験と呼べるもののいっさいが破綻してしまった、ここから先はなんの思考の手がかりもない、という気持ちです。

髙山 もうひとつ、最後に、建築にかんしてお伺いしたく思います。『錯乱の日本文学』の後書きには、半世紀近く集合住宅に暮らしていたと書かれていましたが、石川さんにとっての住居の記憶、覚えている風景は、どのようなものでしたか。

石川 私は3歳のときに品川に引っ越すまで、母親と新宿区大久保の鉄筋アパートに住んでいました。私たちは現在ならば「相対的貧困」に分類される母子家庭でしたし、あのあたりは今でも在日外国人の方々がたくさん暮らしている街です。当時、「鉄筋長屋」とも呼ばれていたこの種の安価な集合住宅には、磯崎新もどこかに書いていましたが、強制収容所の記憶がうっすらとした透明な皮膜のように貼りついています。私の最初の友だちは(本名は覚えていませんが)「チェンチェン」と皆に呼ばれていた中国系の男の子でした。お別れの日に大切にしていた怪獣「モスラ」のソフトビニール人形をプレゼントしたことを覚えています。ご両親は台湾出身で、国家も銀行も信用せず、風呂場に貴金属や宝石を貯め込んでいるという噂でした。今思うとこの一家は第二次国共内戦を逃れた移民もしくは難民だったのかもしれません。中国大陸で内戦が終結してからまだ20年も経過していなかった時期ですから。

私が想起する最初の記憶は、その鉄筋アパート群の中庭らしい無人の空間で、壁に立てかけられた荷車と、そこで取り残されたように一人で壁を見ている自分自身の姿です。新宿に程近い都心らしい賑わいはまったくなく、まるで廃墟のような場所で、母親も父親もそこには登場しません。私の記憶の中で最初に存在しているのは父でも母でもなく、廃墟と化した建築であり、無人の空間であり環境だったのです。

「異なる生の肯定の条件」

長谷川 最後に。この本の最後では「中絶」とは「異なる生の肯定の条件」であるとされていますが、この「中絶」とは何なのでしょう。あまりにも愚直な質問ですが、どのようなかたちでもいいので、お話しいただけませんか。

石川 『錯乱の日本文学』で私は、日本の住宅建築が1950年に勃発した朝鮮戦争を原資とする「本源的蓄積」によって成立した、といった意味のことを書きました。朝鮮半島の分断が始まったのは1948年ですが、旧・優生保護法が成立したのも同じく1948年です。この法律による人工妊娠中絶の合法化は、その後の日本の経済的繁栄の基盤となった。つまりこの場合の人工妊娠中絶は完全に優生思想とイコールだったといっていいと思います。もし左翼も保守も本気で「戦後」をやり直そうと考えているのなら、この問題を避けて通ることはできないはずです。これは戦後憲法の正統性やら憲法第九条の是非云々よりも、はるかに本質的な問題だからです。『存在論的中絶』は、優生という概念を通して近代そのもの、そして私たちの生そのものが成立する条件を問うているのです。

「異なる生の肯定の条件」を見出すとは、ですから近代の終焉であり、私たち自身の生の終焉であるなにかを思考することです。終末論と徹底的に異なる終わりの様態を思考することです。私たちの生に死が確率的に併存しているように、私たちの死には別の生が確率的に併存している。中絶とは生死の接合と切断のことなのです。

(「HAPAX」2ー1号に収録予定)

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