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赤井浩太の平岡論

NEZUMI 1
赤井浩太の「日本語ラップfeat.平岡正明」は高く評価されるべきテクストだが、それだからこそ看過できない誤りがある。ここで赤井は三池闘争を「自然発生的な武装闘争」として、「この闘争を組織=オルグしたのが」谷川雁だ、としている。しかし谷川が組織したのは三池闘争の敗北を総括して結成された大正行動隊であり、これは谷川の読者には自明のことだ。そこでこそ三池に谷川が見出した「近代の超克」の可能性が賭けられ、それゆえその闘争と全共闘を先駆した組織形態はいまだに異彩を放っているのである。驚くべきことに若い赤井のこの誤りを選考委員たる批評家たちの誰も指摘しえていない。その中には森崎和江と対談して新書を刊行した中島岳志もいるというのに。赤井に「みっともないことをやっているぞ」(大澤信亮)などと小言を垂れている場合ではない。

われわれが赤井を支持するのはなにより谷川=平岡とその周辺こそがこの列島の戦後で唯一継承すべき可能性であると考えるからだ。赤井はその可能性を見事に復活させて、そこからマイノリティへの生成としての日本語ラップの政治性を思い切りひきだした。その際、国家が必要と説く民主主義者・牛田某は論外として、近接した意識をもちながら谷川=平岡を武器たらしめることができなかった平井玄も痛烈に批判される。谷川=平岡の画期性とは端的にいって革命を正義や正当性の問題ではなく力の問いとしてとらえなおしたことにある。平岡は「プロレタリアは正しいからではなく強いから革命を行う」と語った。この強さをたんなる暴力性へと還元してはならないだろう。「ヒップホップ的革命」はそこからはじまる。そして決してこれは「安易な政治性」(浜崎洋介)などではない。



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