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『分解の哲学』という革命

マーク・ダガン協会 アリエズとラッツアラート『戦争と資本』からわれわれは多くのことを学ぶことができる。同書はその最後でわれわれは「権力のメカニズムの内部で」荒れ狂い、「諸制度の隠れた原動力」となる諸々の戦争、「戦争のなかの戦争」を追求して、再活性化させ、「決定的な戦いへと導かなければならない」と記すが、これは江川隆男がドゥルーズ=ガタリからとりだした「決定不可能」命題に関わる。これはアリエズたちが捉えそこなっているように見える「マイノリティへの生成変化」の始まりである。「決定不可能」を存在以前の政治として実践することは人間的なもの=様相を減算していくことであった。その際、大きな示唆を与えるのは藤原辰史の『分解の哲学』である。「私たちは足し算や掛け算というよりは、引き算であり割り算の世界を生きているのではないか」。ドゥルーズが幾度も引いたフィッツジェラルドの一節「すべては崩壊の過程である」を連想させるかのように藤原は書く。「生まれたときにはすでに分割と崩壊に向かっている、というより分割し崩壊し始めることを生まれるのではないか」。/藤原はネグリ=ハートの〈帝国〉が「腐敗」に着目したことを評価しつつも、〈帝国〉が外部性を除去しているがゆえに決定的な限界をもつことを批判して、〈帝国〉が「装置」といわれるべきであるとする。これがティクーン的な概念であることはいうまでもない。「装置を打ち倒すために、あるいは粉砕するために装置の真似をして、結局飲み込まれる。歴史はその繰り返しだった。そうではなく、装置が扱いきれない分解過程を促進させること」。生産を基礎にするかぎり労働を優位におくファシズムと決別することはできず、逆に分解からとらえなおすことは人種主義を経由しない人間と非人間の関係をひらく。同時に分解は生と死の二項対立をこえて、さらに時間そのものを逆転させる。藤原によれば時とは「解く」ことなのだ。ドゥルーズにとって信じること(革命)とは世界を非合理的に切断し、統一性を消滅させることであった。これと藤原の分解を接合させることは性急な飛躍だろうか。

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