断片化について


P.L.W

不可視委員会の『いま』は断片化を煽動する。すでにドゥルーズの『シネマ』は「団結」と「統一」にかわって「断片化」と「分裂」が政治となることをあきらかにしていた。この事態は「時間イメージ」を生み出す「感覚運動図式」の崩壊と重なるはずだが、「時間イメージ」が戦後を画期とするのに対して、この転換は70年代におこったとされる。しかしこれは政治的な映画作家、もしくは革命家たちに自覚されるためには70年代の挫折を待たねばならなかったということではない。この間隔にこそ政治が書き込まれなければならないことをしめしているはずだ。
「統合」から「分裂」への転換はティクーンが「サイバネティクスの仮説」(「HAPAX6号)で描き出したサイバネティクスによる統治の全面化の過程そのものである。これへの闘争は「拡散的ゲリラ」としてしかありえない。「なんらかの集合体や階級、あるいは党といったあらゆる表象の形態を拒みつづけ」、「逃走につぐ逃走」によって「ゆらぎを伝播」していくことだ。「そしてゲリラとは、そもそもおのずからそれじしんを拡散するものとして考案されたものなのである」。このゲリラ的実践が生み出す戦争機械によって分裂的コミュニズムは実現されるだろう。

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