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 ティクーン


Äsl142Äslmult0 本稿はTiqqunによって2010年に刊行されたTout a failli, vive le communisme!Äsl142Äslmult0 (La Fabrique)の第1”Ceci n’est pas un programme”の抄訳である。原文はÄsl142Äslmult0 2001年に公開された。「HAPAX」1号(20139月)に掲載のものを転載する。
Äsl142Äslmult0 フランス語原文は以下URLよりPDF版で読むことができる。


 蜂起的なるものの存在を論じるために、本論では「架空の党」を措定する。一般的な党とは、一つの闘争のために、各々の美学的な差異を括弧の中に閉じ込める。だが、「架空の党」は、我々のうちにある内戦状態を練り上げるべく、各々の差異を増大させ、それらの関係を複雑化させるためのものである。この意味において、党の構築は、組織の問題ではなく、循環、伝播の問題となる。

 フランスにおいて、イタリアで70年代に起きたことは驚くほどに知られていない。本論ではそれを再検証する。それは、過去の運動の歴史をひもとくためではなく、自分たちにとってもっとも近くに起きた蜂起的状況を通じて、現在起きている戦争のために武器を磨くことが目的である。


「架空の党」と労働運動

 労働運動は、資本主義に敗北したのではなく、民主主義に敗北したのである。1848年からパリコミューンを通じ、1970年に至るまで、プロレタリアが要求してきたのは、資本を自らの手で運営するという点に過ぎない。社会主義者たちが実現してきたのは、資本関係にすべてを統合することと、価値形態に各々を組み込むことである。つまり、彼らの運動が崩壊したのは、全体を資本化することの不可能性の証明である。

架空の党を武装しよう

 架空の党は、絶対に一つの主体、ひとつの身体として個別化しえない。また、主体の集合体、身体の集合体としても同定できない。架空の党は、出来事それ自体である。革命的アイデンティティなるものは存在しない。帝国においては、自らに与えられる概念的説明を常に裏切ること、つまり反アイデンティティこそが革命的なのである。自らが帝国にとって何者なのかを知ることは、戦術的に必要であるが、ブラック・ブロック、「架空の党」、あるいは他の何かであれ、自らがその者であると思い込めば、すなわち敗北となる。

 「架空の党」は、単に不均質であり、純粋に表象不可能なものである。帝国の雑食的普遍性に対して、明確に吸収不可能な他者なのである。「否定的」、「異議申し立て」、「反抗的」振る舞いに回収することは、帝国の強度の低い図面に、逃れ去る我々の積極性を導き入れるためである。フーコーによれば、中世以来「正義」は、プロレタリア化した下層民をプロレタリア化していない下層民から分離するために機能してきた。貧者の群集から暴力的な者、放浪者、ならず者や狂人を孤立させ、権力にとって最も危険な要素を奪い取るのみならず、同時にその最も攻撃的な面を民衆に向かうように仕向けてきた。「牢獄に入るか、軍隊に入るか」「牢獄に入るか、警察に入るか」といった具合に。また、労働運動における真面目な労働者と「工作員」や「破壊者」との分別は、プロレタリアに対する下層民の対立をもたらす。 フーコーは定義する。「下層民は、歴史の恒久的本質、全ての従属関係の最終的目標、また、あらゆる反乱の不滅の源と理解してはいけない。下層民には何ら社会学的実在性はないのです。しかし、社会的身体、階級、グループ、個々人自身の中に、ある種の流儀で権力関係から逃れ去る者が常に存在します。より従順かそうでないか、より頑固であるかそうでないか、という問題ではない何かです。遠心力的な動き、逆方向のエネルギー、脱走者である何かです。下層民は間違いなく存在しません。だが、下層民的なものが存在します。それは身体、魂、各々個人、プロレタリア、ブルジョワジーの中に。」

アウトノミアが制するだろう
 運動の時代としてイタリアの熱い季節は表象されるが、アウトノミアはいわゆる一つの運動を形成したことなど一度もなかった。莫大な数の特異性への生成が混ざり、交差し、加わり、脱退する、強度の場を成した。これらの生成を、一つの「アウトノミア」という用語に統一化することは、間違った慣習である。アウトノミアはしたがって、夥しい数の誕生日を有しており、離脱の行動の数だけの出生証明書の連続体に過ぎない。大まかには労働者の、女性の、同性愛者の、若者の、失業者のアウトノミアがあったのである。アウトノミアたちがコモンとしていたものは、社会や全体的なるものからの離脱である。この離脱は、帝国が管理を保証する、新たなアイデンティティの鉄格子を求めるものではなく、逃走、逃走線(漏出線)である。
 我々の文化を構築し、自身の生を生きる方法があるならば、それは不在することにある。アウトノミアを定義するならば、家族からの、オフィスからの、学校からの、あらゆる監視からの、男性/女性、市民の役割からの、義務だと思い込まされている全てとの関係からの脱走である。そして、この逃走において最も危惧し、裏切らねばならないのは、我々の逃走のエネルギー消費を、あの手この手で資本化しようと思案し、追跡、監視する連中である。彼らは帝国の側、つまり経営者や、再領土化に躍起になる者達ももちろんだが、我々の側にも存在する。
 70年代イタリアのオペライストがそれである。彼らはアウトノミアの概念を官僚化した。彼らは我々の運動達を、彼らの名のもとに語るべく、一つの運動に単一化しようとする。60年代、70年代、オペライスト達の全ての仕事は、溢れ出る全てのものを、労働運動にしてしまうことである。

 南イタリア出身の労働者達の中から、労働倫理からの疎外をもとに、組合や古い労働者アウトノミアの官僚に対して、自発的な官僚主義の乗り越えを理論化した。彼らはいわゆる労働者階級における下層民的なものであり、彼らは労働者アウトノミアではなく、労働者的アイデンティティに対して自律的であることを求めた。一方でオペライストは、階級の端から端まで、新たな社会的アイデンティティを作った。このことは、アウトノミアに労働運動との断絶をもたらした。このような反革命の20年後、反帝国の新たな闘いが始まった。社会主義圏の崩壊、社会主義者の社民転向ののち、現在現れているのは「アンチグローバリゼーション」における、かつてのミリタン的実践の大規模なパロディである。この戦争の回帰は、新たな戦争概念を要求している。我々は新たな戦争の形式、自らをうんざりさせるような義務ではないものを発明せねばならない。

 帝国は、存在および存在者の全体性を植民地化した。生の様式の倫理的な領土が、帝国に対する戦争に賭けられているものである。我々は、倫理的な組織物の、新たな構成が賭けられた戦争に参加している。帝国はこの戦争において、二つのタイプの離脱に対しては十分に武装している。一つは、上層民の離脱、例えば経済における、世界金融からの離脱や、ハイパーブルジョワジーの、生権力的組織の残余との関係からの離脱といったものである。もう一つは、下層民の離脱、郊外、スラムにおけるそれである。だが、「架空の党」が準備している離脱は、そのようなものではない。問題とされているのは、戦争機械の構築である。我々はそこに、生きることと闘争との一致を見る。このどちらかが欠ければ、戦争機械は崩壊するだろう。闘争の欠如という点において、ヨーロッパ各所にあるソーシャルセンターは批判されるべきものである。それは帝国の外部のふりをしつつ、資本機械や社会工場に襲撃を加えることをあきらめ、資本主義的価値作用の切り札となりうる。また、生きることの欠如という点において、軍隊形式や不愉快な共同体は、自らの消滅の中で身動きが取れなくなる。そのどちらでもない「架空の党」の闘いは常に勝利し、継続的なものである。それは、振る舞いや言語や言い回しといった、つまり生の様式に関わる闘いであり、帝国には捕獲不可能なものである。

文明化された戦士の不幸

 1977年の運動はその無能力性によって、とりわけ攻撃力、暴力関係を築くことができなかった点において失敗とされる。帝国の破壊活動に対する戦術は、より暴力的、破壊者、管理不能、オートノム、テロリスト、といった要素を人口から孤立させることにある。1977年3月、ローマに現れた10万人のデモのうち、1万人が武装していた。警察の力をもってすれば簡単に虐殺できたはずだが、警察はその日現れなかった。ここに見いだせるのは、武装化と、武器の使用は異なるということである。武装しているということは、簡単に警察の餌食にならない点において、力関係に関わることである。だが、暴力との関係については、反帝国転覆活動の進化において、至るところで練り上げられていない問題である。

 あらゆる戦争機械は、国家なき社会である。しかし帝国下においてはもう一つの特性がある。それは、戦士達の社会であるという点である。この戦争機械は、敵対的攻撃から自らを守るだけではなく、戦争的少数派が分割してしまわないように、身分階級を構成しないように、支配層をつくらないように、そして国家的なものが生まれ出ないように、攻撃手段が権力保持につながらないようにしなければならない。暴力との重大な関係を打ち立てることはすなわち、戦士達の少数性との関係を打ち立てることである。興味深いことに1977年、クラストルの「未開戦士たちの不幸」において、このような関係についての記述がなされている。

 戦士とは、死に向かうだけの存在であり、不十分な身体が形象化されたものである。それゆえ、戦士とは哀れむべき存在である。そして孤独を好む戦士達は、悲しみの群れを成す。
 社会は、このような戦士を警戒することしかできない。戦士は社会から排除はされないが、社会に本当に含まれることもない。社会は戦士を包摂する方法で排除し、排除する方法で包摂する。社会は戦士に感謝し、武勲を与えることで社会とは離れた威厳のある存在とする。このことで、戦士と社会の間には距離が生まれる。社会は戦士により貢献することを望み、戦士はより多くの名声を求めてより闘う。こうして戦士は「より少しでも」の監獄にはまってしまい、彼は戦争の中にしか存在できない。こうして彼は死んで行く。このような社会における、職業的戦士によるグループは、圧力団体に変身し、社会に戦争の強化を受け入れさせることを目指すようになる。このような未開社会は、戦争のための社会である。同時に、同じ理由によって戦争に抗する社会でもある。

 1970年代イタリアの、オートノミスト武装勢力もまた、この両義性を持ち合わせている。この勢力は常に恐れられていた。赤い旅団の戦争は、国家なき社会=アウトノミアが国家という統合機械に対して配置した障害であった。だが同時に、これは緊張戦術(一般市民に敵のテロの恐怖を植え込む)のために、イタリア国家が探し求めていたものであった。イタリア共産党の書記長、エンリコ・ベルリンゲルの言葉:「イタリア国家とともにあるか、あるいは赤い旅団の国家とともにあるのか」。この物言いは、現在反資本主義闘争の回帰に対して再び掘り起こされている。

拡散するゲリラ
 1970年代イタリアには、二つの転覆戦術が共存していた。

 一つ目は戦闘組織の戦術。赤い旅団特有のものである。「権力にとっては不可視だが、運動の前には現れる戦術」から、より「スターリン主義的であり、運動にとっても不可視な戦術」へと変化する。初期赤い旅団は工場に根をはり、車を燃やし、管理者を誘拐した、かれらの望む形式のみに沿って行われ、運動の頂点を成した戦術である。後期は国家の中枢を攻撃し、完全非合法主義であり、最終的にモロを誘拐するに至る戦術である。それは人民裁判という国家的手続きの真似事をするに至った。1977年、イタリアでアウトノミア運動が最盛期を迎えた時点で、彼らはそれにほぼ関わっておらず、地下活動に専念していた。当時の赤い旅団は、ある一つのモデル、軍隊主義への偏愛を持っていた。安心感を与える楽観主義と、あるタイプの競争を保つことによって、形式的な仲間意識を持っていた。臆病な者や憂鬱症な人はお荷物だと考えられ、漸進的に排除されていった。これは典型的な軍隊主義のデフォルメ版である。また、主体、アイデンティティや、一貫性のある計画のもとに形成された政治グループに特有の特徴を示している。
 二つ目の戦術は、アウトノミア特有の、戦争ではなく拡散するゲリラ的戦術である。これは戦闘組織とは異なり、革命的主体を同定せず、非形式、不完全な非合法性、曖昧さに拠っており、直感的に戦術を採用していた。帝国側は彼らを、十分に組織され、リーダーを持った主体的な集団と考えていたため、混乱をきたすことになる。近年反資本主義の闘いにおいて登場する、ブラック・ブロックに対する帝国の対応についても同様である。ブラック・ブロックは80年代にドイツオートノーメにおいて発明され、90年代にアメリカのアナキストが改良を加えた行動戦術に過ぎないにも関わらず、国家はそれにメーキャップをして、一つの主体に仕立て上げようとしている。

市民の製造

 市民の製造こそが、社会的のみならず、政治的、経済的、さらには人類学的な帝国の勝利である。

 70年代初頭から再燃した労働運動、68年以降の若者の労働への無関心に対する回答として、資本主義的生産様式の再建が行われた。トヨティズム、オートメーション、脱中心化、労働の柔軟化、個人化といったものは、生産に関わる資本主義権力の再建である。この再建は、見識のある組合員によって理論化され、労働者達の中央部の合意のもとに、雇用主側によって行われた。左翼は労働者にとって高くつくものであってもこれを行うことを支持した。「生産の場は、雇用主のものではなく、改良の政治を前進させるための、労働運動の武器である。」という共産党書記長の言葉が残されている。この再建が目的としたのは、生産が軍隊化する社会中で、全ての逸脱者、危険な人物、「架空の党」の党員を排除することである。この標準化は、工場の中であれ、外であれ、均等に行われ、標的を「テロリスト」に仕立て上げた。そして、各々が生産に対して意志的に参加している中、サボタージュなどを行い非協力的な者を非難する。
 最も愚かなボランティア主義と、身をさいなむ後ろめたさ、これが市民の特徴である。1970年代イタリアには、二つの転覆戦術が共存していた。

生政治の伝統

 パリの官僚的ネグリストは、フーコーにおける不明瞭な生権力と生政治をポジティブな方法で峻別する。例えばラッツァラートは次のように考える。「生政治とは、決定化された権力とより多くの力を生産する者の関係の戦術的な調整である。生権力を生政治へとひっくり返すこと、統治の技術を、新たな生の様式の統治へとひっくり返すこと。」
 ネグリストが好むベーシックインカムのアイデアが最初に生まれたのは、戦時中、対独協力のグループによる科学的研究の中からである。また、生政治という概念の源は1960年に刊行されたアーロン・スタロバンスキー博士による『人間性と文明の歴史の解釈についての試論』にさかのぼる。それは「生政治は、 人間社会と文明を支配する純粋に有機的な力の存在を認める。これらの力は盲目的であるがゆえ、国家間や文明間の血塗られた衝突を招き、消滅に至ることもある。だが、社会や文明の変遷の中には、建設的かつ、人間に新しい楽観的な見通しを与える力が存在することもまた認める。」と始まり、「人間のポジティブな現実は、文明史を通じて貫かれており、人類に生物学的に書き込まれているものである。人間の主要な役割は、人間の文明を守ることにある。そのためには滅私奉公しなければならない。我々個人の善き意思、行動、思考は、普遍的調和に影響を与える。我々は結果として訪れる戦争や災厄を恐れるべきではない。なぜなら我々はすでに戦争状態にあるからである。我々は、文明の衰退を招きうるものを排除しなければならない。現在の文明の次元において、人類は一致団結せねばならない。」と続く。この博士は、フランスの知識人に生政治という概念の導入を果たした「Cahiers de la biopolitique」の創設者の一人である。1968年後半に刊行されたこの雑誌の第一巻目には、次のように記されている。「もし人類が今後も発展を遂げたいならば、有機的方法で秩序を確立し、技術に力と効果をもたらす必要がある。自然法則の定めや、我々の生と運命を統治する存在論によれば、この知こそが我々に欠けており、もたらされるべき生政治である。」

 パリのネグリストたちは、「マイナーな生政治」を好む。なぜなら、メジャーな生政治というのはナチズムなのだから。彼らの言う生政治とは、単に1000年前の教会が言い出したある古い宗教教義をテクノなモードで復唱しているだけである。それは、Oikonomiaなる概念である。この単語は、どのように訳すこともできる。受肉化、計画、デッサン、管理、うそ、陰謀、などなど。だがこの単語はひとつの概念を表している。神性と世界との関係である。永遠と歴史的広がり、父と息子、教会と信者、神と偶像という関係である。堕ちた創造物を管理し、救済することを目的とする神の計画の概念は、創世以来の創造物の経済的連帯を回復させる。経済とはつまり、自然なものであり、摂理である。神の経済は常に、世界の調和を保つことに気を配る。教会の経済的思想は、管理者、矯正装置のそれである。管理するだけでなく、矯正装置の役割を果たすのは、神の啓示を受けていない人間による主導は、不平等、不正、違反をもたらすからである。ゆえに、神と聖職者の経済は、我々の憐れなる歴史運営の責任をとり、見識ある調節と、罪の贖いをもたらす。あらゆるものを最終的に統合するoikonomiaの教義は、全てを包摂する生政治的計画であり、帝国的なものである。

ネグリズムに対する反論

 ネグリズムの特徴は、市民の党に、気取ったイデオロギーを供給することである。だが、ネオリベグローバリゼーションに対して、「市民の義務」を盾に戦うことはばかげている。ほとんど公式のものとなっている、ロビイストと市民運動の一致。議員や官僚、警察、市民社会の代表としての役割を与えられたオルターグローバリゼーション団体のスローガンは、人類の利益のために個人、企業、国家といった全てが服従する新たな世界秩序を構築することの必要性を訴える。これこそが生政治である。言うまでもなく、オルターグローバリゼーション団体のもっとも野望に満ちた派閥は、ネグリストなのだ。ネグリズムの特徴を表す三つの言葉は以下の通りである。市民所得(BI)、移動の自由(全ての者にパスポートを!)、創造への権利(とりわけパソコンによる手助けがあれば)。これらは、帝国の展望となんら変わるところはなく、むしろそれを完璧にしたものである。ネグリズムは革新的管理者、経営者の、保守的管理者に対する敵対性を表現しているにすぎない。それが望むのは、ポリスなき生権力の実現、スペクタクルなきコミュニケーション、戦争をせずとも実現できる平和である。ネグリズムを反証するには、その思想の実現が最も近道である。サンパピエに対する滞在許可証の付与は、国家への凡庸なる統合をもたらすだけであり、市民所得の付与は、政治的能動性や、倫理的適合に対する報酬となることが目に見えている。市民所得がもたらすのは、自己規律化という恫喝や、極端に身近な奇妙な警察の拡散である。そうなった場合、それは存在することへの給与と呼びうるだろう。なぜなら、帝国にもっとも都合のよい生の様式へのスポンサーとなるからである。また、ネグリストたちが「感情労働」という言葉で予言するように、言語的、人間関係的、身体的な能力といった、生産領域ではなく再生産領域において獲得されるようなものが労働に要請されており、労働と労働外の時間はもはや分割不可能となっている。だが、それは人間存在そのものを領土に納める、サイバネチックな価値作用のプロセスへの服従を知らせているにすぎない。ネグリストがプロレタリアの勝利であるかのごとく主張する、工場の規律に対する勝利は、帝国の最も陰険な馴致、身体の固定資産化に何ら反抗するものではない。また、ネグリによって理論化された自己価値付けは普遍的売春と変わらず、人間から強奪してきた価値作用のシステムの大いなる勝利を認めるだけである。結局のところ、市民ネグリストは、統治の側で行われる非暴力的活動に人口の大半を参加させることに奉仕するだけである。ネグリズムとコントロールの市民計画は、イデオロギー的なものではなく、存在論的なところで一致している。

労働との戦争

 労働など、一部のバカを除けばもはや誰も信じていない。だが、必要性という信仰が、労働を凶暴なものにする。ある人々にとって労働の馴致による損害は不快ではなく、労働の必要性という信仰がしばしば狂信へと変化する。すくなくとも一部の人々は、自らが外国人であるかのようにその存在を確認するべく働く。自らの生を獲得する、つまり、自分を自分に売るという意味でアウトノミアを評価するということは、同じ必然性に基づいている。これは経済的な秩序ではなく、倫理―政治的な秩序である。労働は、市民を製造するための鍵である。生産者を生産すること、働けずにはいられない身体を生産することが、現在の生産の唯一の純理性である。また、労働が直接的に軍隊的機能を果たすことも不可欠の要素となる。この戦争において我々が最も恐れなければならないのは、左翼である。左翼こそが、労働における信仰の公式の管理者である。それは、生産倫理のもとに、全ての倫理的差異を否定する狂信者である。

 労働運動と、「架空の党」には倫理的な両立不可能性があった。60年代あたりから南部出身の労働者達は、フォーディズム的妥協を決裂させつつ、工場の規律に対立した。1970年代初頭、Potere Operaioはこれを機に労働との戦争や、労働の拒否を工場に持ち込む。労働者たちは、資本主義が彼らに課す労働からの疎外や、アイデンティティ化を破壊しつつ、闘争を生んだ。だが、「架空の党」の爆発が起こるのは、1973年、労働運動の終焉とともにである。闘争の継続を望んだ労働者は、工場の外に戦争をもたらした。経済的闘争と政治的闘争の中間でオルタナティブなレーニン主義者として留まっていた赤い旅団にとって工場の外に出ることは、政治闘争、国家権力中枢への攻撃に身を投じることであった。他の者達、とくに「オートノミスト」にとっては、労働運動が残したもの全てを政治化することであった。ネグリは、「社会的労働者」というカテゴリーを理論化し、フェミニスト、失業者、プレカリアート、芸術家、つまはじき者、憤る若者を柔軟に加わらせた。そして、「拡散する工場」。これは文化商品の消費から家事労働まで、全ては資本主義社会の再生産に寄与しているのだから、工場が至る場所にあるという概念である。この短い間の、赤い旅団と労働者オートノミストとの間の断絶を含んだ変遷は、どんなやり方であれ労働者階級が共産主義革命の中心に残ることを望んでいた。この倫理的断絶に関係する実践が、同じ革命運動に属していると信じていた者達を分裂させた。自己値引き――1974年、イタリアの二千世帯が電気料金の自己値引きを行った――、プロレタリアによる徴用、スクワット、自由ラジオ、武装デモ、街頭闘争、拡散ゲリラ、反文化パーティー、ようするに、アウトノミアである。社会主義者と訣別した1977年の運動は、破廉恥かつ集団的な、生の様式の昇天日であった。そして、千人もの収監者からは、「架空の党」に対する社会主義の敵意を推し量ることができる。

 組織されたアウトノミアの決定的なミスは、架空の党が認知される、つまり制度によって調停されると信じてしまったことである。それとは逆に、我々は自らの闘争が犯罪の刻印のもとにあるという事実から、そしてそれ相応に振る舞うことから始めなくてはならない。組織的アウトノミアにおけるミリタンティズムと、それに対する自己批判の分裂的セットは、帝国の様式と馴染むものである。一方は労働の様式であり、もう一方は無能力の様式である。この殲滅戦において我々が最も恐れるべきは左翼だろう。なぜなら左翼こそが労働信仰の保持者であり、それは生産の倫理の名においてすべての倫理的差異を否定する狂った信仰なのだから。その意味において、1977年の運動における反労働の技芸は、帝国を最も決定的に揺るがせたのである。我々の漏出線を描くための存立平面は他にあるのだろうか?生の様式間における賭けの練成、コミュニズムの前提条件は他にあるのだろうか?




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