勝利とは何か


NEZUMI
前回、とりあげた栗原康の政治の核心は「離脱」であったが、これがランダウア―にはじまり不可視委員会にいたる系譜に位置するものであることはいうまでもない。「離脱」を戦略とするということは旧来の戦争論を無効にするということでもある。ドゥルーズ=ガタリが「戦争機械」をクラウゼヴィッツ的絶対戦争論と峻別させたこともこれと関連する。政治的に思考することは戦略的であることと同義であるとしても、「離脱」を焦点にすることは戦略的思考そのものの再検討を要請するのだ。そこから歴史を振り返るとき、勝利と敗北は書き換えられなければならないだろう。「朝日新聞」91日のGLOBEに「アラブの春」の端緒となったブアジジの焼身自殺を拡散した女性アクティビスト、リーナ・ベンニヘムのインタビューが掲載されていた。それによると蜂起後の反動はすさまじいものであったし、チュニジアにはじまった「アラブの春」の帰結がいかに過酷なものであったかはもはや誰もが知っている。しかしその後の反動は蜂起をおしとどめる理由にはならないし、またそれは不可能でもある。「革命の成功は革命自身にある」(ドゥルーズ=ガタリ)。しかし一方、革命は終わることもないのだ。そしてそのインタビューはいまだにリーナの中の革命が進行中であることを教える。


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