われわれはプロヴォ。挑発する、うるせえパルチザン


NPPV
World's Forgotten Boy訳


以下はフランスのコレクティヴNPPV(マジで知覚するためのニュアンス)が公開している同名のパンフレットの第3号に掲載されたテクストである。パンクが産声をあげるその遥か前、しかしオランダでパンクをかましていたイケイケなムーブメント——コレクティヴというにはあまりに緩いな——である「プロヴォ」。その活動の様子が生き生きと描かれている。なお、同号の「非統治のための用語集」はHAPAX8号に翻訳が掲載されている。併せて読まれることを願う。

われわれはプロヴォ。挑発する、うるせえパルチザン

アムステルダム、1966年3月10日、王族の結婚の日

……みんなこの演出が大好きだった。率直にいえば友人たちとそこに何回も行ったし、めちゃくちゃ笑った。ごちゃついた集まりに興味をもたせてくれたのはロバート・ジャスパー・グロートフェルトだった。 彼はスプイ広場の「かわいい子」像前で何年も前から変な催し物をしていた。濃いメイクをして、反タバコ、反パブ、マリファナ賛美みたいな詩を喚き散らしてめちゃくちゃなことをやっていたんだ。そして誰もが苛立ちながらこう繰り返した。「クソが、うぜえ、消えろ……」。特にポリの連中は色々気に入らなかったようだ。というのも毎週土曜になると道は塞がれるわ通行の邪魔になるわだったからね。こんな感じの場所でみんなは出会った。一番最初に警察とどんちゃんやりあったのもここだった。あ、あとヴェトナム戦争反対デモでもボコボコにしあったな。まあ要するに、広場前の儀式はみんなにめっちゃ愛されてて、それは少しずつ政治集会っぽいものになっていったわけだ。んで、突発的なデモや騒乱って感じではちょっとなくなっていった。
みんなでぶちかましたので最高だった一つが、王女ベアトリクスとクラウス・フォン・アムスバーグの結婚式をボコボコに破壊し尽くしたことだ。それは1966年の310日のこと。まあ、これは言っておかなきゃだが、必要な準備は少しだけだった。婚約が発表されてもう随分時間が経っていたんだ。クラウス、こいつは若い頃ヒトラー・ユーゲントだったのだが、そんなやつがオランダのトップになろうとしているだなんて、図々しい話だった。実際のところ王族なんざ顔を見るのも嫌だったが、しかしこの茶番はもう最悪だった。単に不満に思っていただけじゃないよ。「公式発表」をぐしゃぐしゃにしてやった。クラウスとベアトリクスとはアムステルダムの善良な人々を前にお散歩。ムカついてたわれわれは道の上にビラをばら撒いて大笑い。彼女はそれを祝辞だと思ったが、すぐ悲しみに沈んだとさ。

それで、王族の結婚反対抗議の狼煙があがり、311日を「アナーキー記念日」にしようということが決まった。あたかもウィレム公の肖像画オランダの偉い人だに見せつけてやるかようにね。みんなはこの晴れの日に向けて計画をはじめたよ。
第一の行動はまあ馬鹿馬鹿しいものだったよ。何人かがジャーナリストのバーで一杯やり始める。そして何食わぬ顔でぺちゃくちゃ喋りながら、飲兵衛たちはでかい声で、例の311日にLSD入り砂糖をぶちこんで警察の馬をヤク中にしてやるつもりだと言って爆笑する。一も二もなくジャーナリストたちはこれを信じて、噂は大見出しで取り上げられる! 街の中心でパニックだ!

第二の行動は行進の間に催された。仲間が手製の発煙弾を用意し、婚礼行進の通り道に向かって投げ込んだ! でかい音を立ててピューピュー鳴る発煙弾。いろんなブツがどんどん放り込まれ、騒乱の最中ニワトリ(ニワトリだよ!)すら投げ込まれた。その間、機銃掃射の音がスピーカーから流されていた。ダダダダダダダダダダダダ。そんでもって他の仲間たちはリズムに乗って叫び散らしていた。「いち、に!  いち、に!  いち、に!  いち、に! 」。まるで結婚行進曲みたいな軍隊マーチのリフレイン。新郎新婦のヤツらも喜んだに違いない。テレビは生放送に騒ぎが映らぬようかなり苦労した。みんなめちゃくちゃ笑った。ただ、その後ろでは数人しょっぴかれたね。

あとちょっとしたことだけど、われわれがたむろしていた通りの芝居小屋で第三の行動を打った。早くも10日後に警察官が行動の参加者たちに暴行をふるう様を記録した写真展を開催したんだけど、大盛況だったよ。もちろん制服連中は気にくわなかったみたいで、カチコミにやってきやがった。てめえらがふるった暴力を記録した写真展を邪魔しようとして、ポリ公はまた暴力をふるったんだ。芸術的観点からすると、これはなかなかよくできた見世物だったと思うよ。でも、医学的観点からすると、正直中途半端なボコりだったな。なんにせよ、麗らかな春の日だった(……)」

人気の投稿