「3・11後」について

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「官邸前」「国家前」派の一翼を担っていたと思しきTOKTO DEMOCRACY CREWのメンバーであった高橋若木による「『三・一一後』とは別様に」(「情況」2019春号)はその内部で重要な転換と分岐が生じていることをあきらかにしている。高橋はまさに2015年の夏、反安保闘争が頂点を極めた時期、「国会前」が野党共闘に集約されて国民運動と化すのを前にTDCを離れた。高橋によればその後、TDCは国内労働者の利益のために移民拡大への反対を表明したばかりか(思えば十年前、「VOL」の一員であった萱野某は同じ主張をしたのを機に急速に右旋回していったのだ)、シリアへの「人道介入」を支持し、ブラック・ライヴス・マターにロシアが介入していると主張しているという。高橋は「官邸前」「国会前」派を「3・11後」と呼び、これが主流派の国民路線とは別に人民路線派と呼ぶべき分岐を形成しており、後者を評価しようとしている。高橋にとって「3・11後」は実は「『多数者』の変革的・戦闘的な主体性を」「再発明しようとした」運動であり、そこには「国民」を「人民」にスライドさせることが、そしてそこから「国民主義」を掘り崩すことが意図されていた。あの運動にこのような志向が秘められていたことに驚くほかない。高橋は「3・11後」の人民路線を良きものとするために同運動における〈68〉の忘却を解除し、そのよき遺産としての無党派主義と階級概念の再考を提起している。だがその外にいるものには野党共闘に至るはるか以前から「3・11後」は国民路線をとり、68的な要素をあらゆるかたちで排撃していたように見える。その端的なあらわれが右翼への寛容さである(TDCの移民反対論もそこに淵源しているのではないか)。一方、高橋が評価する「素人の乱」が反原発運動の前線から撤退していった要因の一つは右翼をめぐる混乱だったと言われる。この混乱は基本的には現在も継続している。高橋もここで運動史的な知識において依拠しているアナルコ・ファシストの「活躍」もその一つである。これらは「3・11後」の上からの極右化と並行しているのであり、そこにこそ「官邸前」派が圧勝していった要因があったように思われる。われわれは高橋が「国家とは別の社会」を生成させる「叛乱」を展望することを歓迎する。ただしそのとき要請されているのは国民路線を延命させる回路をあらゆるかたちで断ち切ることだ。これはわれわれ自身の課題でもある。

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