レジ前のミリタンシー

七人同行

新元号発表の狂騒の裏で、「特定技能」の在留資格によって外国人単純労働者の受け入れをはかる改正入管法が施行された。このあらたな法がなにを招くのか、おおかたは予想がつく。牛丼屋やハンバーガーチェーンで、外国人店員にたいして投げかけられる嘲笑。それがさらに勢いづくだけのことだ。じつのところ、いま「反移民」などと嘯いている連中ほど、その法を待望していた者はいない。施行後の日常のなかで出会う者にたいして、かれらは侮蔑の言葉を喜々として吐くだろう。黙々と労働に従事し、いくらなじられようとも感情を殺して「スマイル」でこたえる。そのような手頃な獲物をこそ、かれらは欲しているのだから。だが、こうして繰り広げられる社会的カニバリズムは、誰もがガンジーのようになれば解決するわけではない。かつての在日朝鮮人労務者から現代の釜ヶ崎にいたるまで、外国人・労働者が構造上一貫して廃棄可能な生として扱われてきたことは明白である。いくえにも重ね書きされた国家化の年輪をまえに、道徳は薫製の鰊にしかならない。この事態を前に、われわれは映画『菊とギロチン』における中濱鐵が、朝鮮人を拷問し天皇への万歳を強要する自警団にむかって放った言葉を想起する。「隣の奴は敵じゃないぞ! 共闘せよだァ!」 同じ苦境を生きる者として共闘すること。「隣人に−なる」(ルカ書)ことの闘争性militancy。おおくの日常的実践、さまざまな底流政治が発明されねばならない。アナーキーは、国会議事堂前ではなくレジ前に生成する。

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