香港2019: 鏡の国の大衆運動あるいは漂移する遊行(上)


[2回(もしくは3回)に分けてわれわれの友人Shiuによる香港のレポートを掲載する。これはHAPAX次号にも収録される。なおあわせてこのブログの前々回も参照されたい]

Shiu

Hong Kong 2019: Mass Movement Through the Looking Glass
 or a March in Dérive 


 去る2019年10月中旬、 私たちは今年の春に知り合った香港の友人たちに会うために香港を訪れた。



錯乱する真相:ショッピングモール



 デモの前日の夕べのこと。私たちは現地で生まれ育ったTさんの案内に耳を傾けながら、白い大理石とガラスの光り輝くショッピングモールの屋内広場を訪れた。そこは「反送中」デモのいわば「真相」を伝える映像の公開上映会「真相放映会」が開かれる場所だった。

 モールの位置する 沙田(Sha Tin)は70年代に郊外に開発された、この類のものとしては香港で最も古い高層団地からなる住宅街らしい。彼女の説明によれば、この地域には今回の逃亡犯条例反対を契機とした運動に多くの寄与をしてきた香港の中産層が多く住んでいる。デモが終わった夜には、テレグラム(ラインなどよりも保安性の高いチャットアプリ)の連絡網によって繋がった40代の送迎部隊がこの住宅地から出発して、ギアGearと呼ばれる黒装束、ガスマスク、保護ゴーグルなどを脱いだ10代、20代の少年少女をそれぞれの住処へと車に乗せて送っていくのだという。

 またTさんによれば、7月には、モールに隣接するウォーターフロントの公園に掛かる橋が、警察との攻防戦の舞台となり、 モールの中に押し入った警察によってデモ参加容疑者・買い物客に多くの怪我人が出た(この文章が書かれている11月の初めにも、警察が同モールの買い物客を掃討し、それがネットに上がっている)。さらに驚くべきことに、このいかにもリッチな雰囲気を醸し出しているモールは、 デモを支持しているのだ。それはこのモールだけでない。近郊の別のモールでも、デモ参加者たちを追ってきた警察が入ってくるのを、警備員5人が制止して逮捕される事態が起きたそうだ。

 私たちはどんなところに行くのかもわからずTさんについてきたのだった。しかし、こんな煌々とした場所に連れてこられるとは思ってもいなかった。というのも、私たちはそれまでの数日間で、外壁にゴツゴツした配管を誇る雑居ビルの谷間で行われている都市運動の組織化の試みや 、サブカル・カウンターカルチャーの巣窟のようなシェアハウスや、農村で暮らす試みなどを目にしてきたからだ。このモールの広場に来る途中で通りかかったプリンス・エドワード駅(太子駅)では、地べたに座った人々が、駅の構内で行方不明になり警察に惨殺されたと言われている3人を弔って、捧げられた献花の横で、死者が来世で使うお金を燃やしていた。私はてっきりそのような運動の現場かソーシャルセンターのような場所に来るのだと想像していたのだ。

 研磨されたかのごとく清潔そうな大理石の敷かれた広場。この煌々とした高級感は北京やソウルで見たことのあるショッピングモールと全く変わらない。趣味の違いか、まだ生産力を保っている後期資本主義の輝きか。日米欧のショッピングモールにはない力強い光を放っている。その一角の大理石を配した柱と、そこに白く輝くNew Town Plaza のネオン文字。

 その下には様々な宣伝、告知が貼られていて、その周りに人だかりが集まっている。その柱の壁に様々なデザインのポスターと数々の黄色のポストイットが貼られ、当局と警察の横暴を指弾している。

 「レノン・ウォール」と呼ばれる、このような壁は2014年の雨傘運動の中で香港に現れたのだが、2019年の「反送中」デモの状況の中で、人々の行き交う駅やバスターミナルの階段や通路などの壁に作られた交信装置。それは現地の別の友人の分析によれば、現在の運動の「共有脳」の一部なのだ。

 ちなみにレノンという名は、かのジョン・レノンからとられた。彼の死に際し、1980年のプラハで彼の肖像画が落書きとして描かれて以来、反体制的な意味合いを持つようになったある壁に由来するものらしい。つまりここに現れているのはプラハの壁なのだ。世界の物と記号が行き交う物流都市、結節点としての香港の「共有脳」の混淆性。それがいま世界を受け止め世界と交信を求めている。

 壁の最上部を見るに、大きな文字で、星期日民陣九龍遊行――(翌日の)日曜日に九龍で行進――という告知がA4用紙一枚に一文字ずつ赤字で貼られている。民陣とは民間人権陣線という様々な市民団体の(コウアリ)(ション)である。遊行は 、香港、台湾でLGBTのプライドパレードなどにも使われている言葉だ。その他のポスターなどでは、示威という言葉も使われていたが、この言葉は穏やかな市民的イメージをアピールしているのかもしれない(10月5日に発動された緊急状況規則条例に従い民陣による遊行申請が警察に却下され、遊行参加者は全て不法であると見なされたと知ったのは帰国後である)。

 モールの広場では、人々はまるで大家族の法事に来たかのように、床に座りプロジェクターの映像を見ていた。放映されているのは、国営RTHKの報道番組と時事風刺コメディ番組、そしてアメリカの ナンセンス風刺アニメ『サウス・パーク』である。RTHKはなぜか国営テレビなのに、中国政府寄りではなく、むしろ過度にデモ参加者の側に寄っているとして保守政治家などから批判されているという。

 しかし「真相」を掲げた上映会で『サウス・パーク』を見るとは思いも寄らなかった。私の知る限り、『サウス・パーク』では、アメリカ =公園を世界の中心とするナンセンスな自己言及と風刺、逸脱が延々と続くものだが、そこで放映された話のあらすじは次のようなものだ。

 ミッキーマウスをはじめとしたディズニーキャラクターの訪中団はガタガタ震えながら、全体主義国家の典型をさらに戯画化して描かれる制服キャラクターとしか存在し得ない超警察国家中国のいいなりになる。しかし、くまのプーさんと親友のピグレット(中国国家主席の習近平と香港行政のトップキャリー・ラムが二人で歩いている写真をこの愛くるしい二匹の姿に重ねた香港の風刺画像が元ネタである)はいうことを 聞かず収容所送りになる。ちなみに中国に従順なバスケットボールリーグNBAのスターも同じビジネス外交の訪問団として登場している(ところNBAが香港を支持したとしても、それをボイコットすることで国内リーグCBAをみることはないだろうと言われるほど中国では大人気のスペクタクルだという)。

  サウスパークの提示する「真相」は極めて単純シンプルである。中国消費市場の尻舐めに奔走する近年のアメリカ企業の姿をこき下ろし、全体主義国家の法廷で自由と人権をクソ真面目に演説することでそういった偽善的な価値を無効化し、リベラルで進歩的な価値観の終焉をブラックな笑いにして、結局はリベラルかつニヒルに金を儲けているということだ(しかし、同時にその地点で「皆んなわかってるだろ」という共通の感覚が作り手と観客の間に生じる)。

 しかし、ここにはフェイクニュースならぬ、「真相」に比する虚偽(フィクション)がある。

 実際にこの上映会の10日ほど前にディズニーの運営するくまのプーのキャラクターサイトへのアクセスが香港からのものに限ってディズニーによって一時遮断されている。その証拠に例えばカナダからはアクセス可能であったという。しかし遮断が騒ぎになり、香港からのアクセスも翌日復旧した。事実がパロディそのものである。ディズニーがそのアニメーションで謳歌してる多文化で女性が活躍できるダイバーシティとは、つまるところ投資先と消費者のアルゴリズムに過ぎないということか(東京のオリンピック産業に無理やりこじつけたダイバーシティ言説が思い出される)。

 トランプと習近平が資本主義ポピュリズムのシマ争いをやっているように、中国の台頭はアメリカ文化資本の内部抗争を引き起こしている。裏返せば、見えるのは日本の主流社会ですらようやく気づき始めた、しかしインバウンドの観光客程度にしか思っていない、中国経済の巨大な購買力である。

 「真相」がなんだか分からなくなってきたが、これは闘争が激化している社会(闘争のない社会などないだろう)につきものの錯乱ではないだろうか。そして次の日、私はさらなる錯乱を目にすることになる。


人気の投稿