上村忠男氏への8年目の応答


マーク・ダガン協会

上村忠男氏が『アガンベン 《ホモ・サケル》の思想』を上梓された。その中で光栄なことにわれわれの前身である『来るべき蜂起』翻訳委員会について論じた2012年の文章を収録している。われわれは上村氏の訳業をはじめとする仕事に多くを学んできた。そのことへの感謝と尊敬の意を表した上でこの論に批判的に応答したい。これは現下の課題にも関わる。/上村氏は「夜のティックーン」という補論で「ティクーン」から不可視委員会とアガンベンの関係を論じながら、翻訳委員会が『反装置論』で3・11以降に触れて「反社会的でなければならない」と書いたことをもって、「コミューンへの夢を放棄した」と記す。そこで「アナーキーここにきわまれり」と書いていただいたのは、アナーキーをきわめることを使命とするわれわれにとってうれしいかぎりだが、しかし残念なことに翻訳委員会もHAPAXも「コミューンへの夢」を放棄したことはただの一瞬もありはしない。われわれの全営為はコミュニズムに向けられている。問題は上村氏にとってコミューンが社会と同義とされていることにある。だがコミューンは社会とは対極にあること、その外部として生成することはティクーン、そして不可視委員会からわれわれが学んだ最大の教えである。関係をア・プリオリとみなす「社会」にたいして、「コミューン」とは遭遇による関係の再開である。これをコミューンとは逃走線の集合であり、逃走線こそが社会的地平を定義する(DG)と言い換えてもいい。アガンベンの核心をなすバートルビー的な無為とは「反社会」でなくてなんだろう。アガンベンのいう脱構成(罷免)的可能態の政治はそこから開かれるしかない。ただそこでなお上村氏が「社会」に留まるとするなら、それはアガンベンの限界を逆照することになるはずだ。/回顧的に総括してみよう。われわれが3・11直後に反社会を強調したのはその当時、溢れかえっていた「社会の再建」論と闘うためであった。震災と原発事故は蜂起的状況を生み出していたが、これが「社会」に回収されることをわれわれは恐れた。そしてそのあとの現実はどうだったのか。反原発運動は右翼との共闘を歓迎する秩序派(便宜的にこう呼んでおく)がヘゲモニーをとり、左派は最後の再生の望みまで絶たれた。それもいま思えば極右化へのステップにすぎなかったのであり、「極右化」は「社会」の要請だったのである。左派が秩序派、そして極右と「社会」という同じ夢を見ているかぎり敗北することは必至である。/「カタストロフはこれからやってくるのではなく、すでにそこにある。わたしたちはすでに一つの文明が崩壊するうねりの中にいる」。上村氏もひく『来るべき蜂起』のこの一節はいまこの世界そのものを示している。「緊急事態宣言」に社会主義者の末裔=「社会党」の後身である立憲民主党も、また躊躇しながら社民党も賛同した。この「社会」防衛にこそ徹底して抗すること、そしてついに現実化しつつある社会の解体の中からコミュニズムを形成することこそが問われているのだ。そこにおいて病と治療という関係もまた問い直されることになるだろう。コミューンとは逃走であると同時に治癒でもあるからだ。

追記 上村氏よりこの文章で氏がコミューンと社会を同義としていることは誤りであるとのご指摘をいただいた。確かにそこまで断定することは性急であったかもしれない。上記の文章はその点を留保した上で読まれることを願う。

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