ジョゼップ・ラファネル・イ・オッラ 祝祭と反乱


訳  HAPAX


 

 

以下は2023年7月、フランス・ナンテールにおいて十七歳のアルジェリア系少年が警察によって射殺されたことを機に全仏に拡大した暴動に対するイ・オッラによる考察である。イ・オッラについては『HAPAX』 2期1号を参照されたい。

Josep Rafanell i Orra, “Carnivals and Revolt”. (https://illwill.com/carnivals-and-revolt





 627日、ナエル殺害――またひとり若いアラブ系男性が警察の手によって処刑された。殺されたのが黒人だった可能性もある。今度は近隣の建物の住人の手で映像に収められていた。若者を射殺した警官がこう言うのが聞こえた。「頭に銃弾をぶち込んでやる!」。別の警官が言った――「撃て」。
 後になって判明したことだが、ナエルを殺害した警官は、保安官に転身する前は元軍人で、イエローベスト蜂起の期間の邪悪な「仕事」で悪名高いラルマン知事によってたびたび褒章を受け、称賛された人物であるという。さらに、例の血も涙もないBRAV-M2019年に創設されたデモ鎮圧のためのバイク部隊〕の一員で、現在、十七件に及ぶ暴行および恐喝の容疑で取り調べの対象になっているセーヌ=サン=ドゥニの「警備介入会社」、CSI-93部隊の一員でもあった。

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 暴動の波は立て続けに広がった。国境を越えて、ゲットー化した地域のあるいくつもの都市がこだまを響かせあっていた。都心から離れた地方もふくめれば、数千もの車両、バス、路面電車が焼かれ、250もの警察署が炎に包まれた。1000棟を越える建物が損壊を被った。250棟の銀行支店が、さらには200もの商業施設が破壊された。監視カメラを支えるタワーは切り倒された。スーパーマーケットや商店は略奪にあった。子どもたちは細心の注意を払って略奪をおこなっていたが、そこかしこに母親が同行していた。
 最初の二日間は住宅地の圏内にとどまっていたけれども、その後、暴動は主要都市の中心部にまで広がった。各地で、ネオナチの集団が警察と手を組んで、暴徒に襲いかかり、彼らを警察に引き渡すのが目撃された。主要な二つの警察組合が、郊外に端を発する「害虫ども」の駆除を認めるように要請する声明を発した。彼らは政府を脅しつけ、蛮徒に対抗する「レジスタンス」の約束を取り付けた。彼らは叫んだ――「これは戦争だ」。
 この六日間、たしかに戦争が起こっていた。国家と国家によって暴徒にすぎないと公言されたものとを橋渡しする最終仲介機関である警察によって仕掛けられた戦争だ。彼らの頭に、共和国の新規事業という装いのもとであるけれども、ファシズムと人種的迫害ラトンナードという古いイメージを呼び覚ます戦争である。
 憲兵と警察からなる対テロリスト特殊部隊、装甲車両、BAC〔犯罪対策隊〕やBRAVなどの暴動鎮圧に特化された警察部隊の一群が配備された結果、暴動は沈静化した。若者たちのあいだに広がる疲労感も要因のひとつである。マルセイユでは少なくともひとり以上が死亡し、ローレーヌでは若い男性が昏睡状態にある。4000人近い逮捕者が出て、400人近い若者が迅速な司法システムの手によって投獄された。明らかなことだが、司法とは、フーコーもよく述べていたように、警察の手先ではあるが、その逆は当てはまらない。恐るべき弾圧の全容を見極めるには、しばし待たねばならないのだろう。

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 マクロン、ダルマナン、そしてデュポン=モレッティは、蜂起の効力と強度にショックを受けて(50000人の警官からなる大部隊を配備した後だというのに)、国中にいる子どもの親たちに説教を開始し、彼らの責任感に訴えた。そして、福祉給付金を減額するぞと脅し、ビデオゲームの危険性について警鐘を鳴らす、などのことをした。
 こうした尊大なご機嫌取りたちはどんな奴らなのか。上から、共和国大統領、内務大臣、法務大臣である。一人目は元銀行投資家で、大統領になる前にはエリゼ宮にいた暴行犯を隠蔽するなどし、狂信的なペテン師を顧問組織に置いて、何度も有罪判決を受けた元共和国大統領を重大な国際イベントのフランス大使に任命するような人物である。ダルマナンはというと、北部の町の市長としての在任期間中、ソーシャルハウジングの約束の見返りとしてプロレタリア女性にオーラルセックスを強要したことで、強姦罪に問われた人物であるが、彼は行為についてはあっさりと認めたが、それは「若さゆえの過ち」であったなどと述べている。それ以上の訴追がされることはなかった。デュポン=モレッティは不正な利益相反とその他の違反で現在も起訴されているが、彼の息子も妻への暴行の容疑で罪に問われている。早い話が、20人かそこらの政府関係者たちが、現在も汚職や性暴力をふくむ暴行の容疑で司法捜査の対象になっており、有罪判決を受けたものもいる、ということだ。以上のことは、権力の制度的光景とそこに巣食う堕落した輩を一筆書きで描き出したにすぎない。

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 左派、なかでも極左の陣営には、こうした暴動や反乱が政治的なことなのかと訝しむ向きもあった。彼らは知ったような口ぶりでこう唱えてみずからを安心させようとしていた。いわく、イエスともノーともいえるが……ほんとうに政治的であるとはいえない。暴動や反乱は「カーニヴァレスク」である……しかも、自分が次のナエルのリストに載るかもしれないという恐怖にもかかわらず、怒りと痛み、国家への憎しみを抱いているのにもかかわらず、取り締まりやそれに類するあらゆること――魅惑的な経済の世界のなかでの第三身分が約束された自分らの社会的立場を思い出させることしかしないような、学校、コミュニティ・センター、メディア・ライブラリーなどという、司牧的制度の遺物をふくむ――への煮えたぎる不快感にもかかわらず、そうなのだ。
 誤解がないようにいっておこう。祝祭というものはあったが、ときにそれは著しく破壊的なもので、それなりのニヒリズムを抱えていた。本が焼き払われ、ゴダールの全集DVDが煙に包まれたとき、私たちは悲しむべきだろうか。郊外の植民地的歴史の産物である新たな政治的主体の出現に目を光らせるべきなのか。私たちの見方では、問題になっているのは何か別のことだ。つまり、新たな社会的主体でもその政治的未来でもなく、社会への憎悪になり果てた社会的憎悪が爆発的な結果をもたらしたということである。
 「イエロー・ベスト」蜂起の頃、アラン・ベルト(数十年にわたって郊外暴動を研究してきた人類学者)は2005年の暴動を回顧してこう述べている。

こうした暴動が政治的運動だったのか、政治的運動の原型であったのか、それとも非政治的な運動だったのかどうかについて……当時、車を燃やしていた人々が私にした答えがいまだに心に深く刻まれている。「いや、これは政治的なことではない。だが、私たちは国家に対して言いたいことがあったのだ」。国家に対して物申したいことがあるときに、政党政治と議会制などというものは彼らの目には無用の長物に映ったということを述べるのに、これほど明快なやりかたがあるだろうか


 2023年の暴動に参加した若者であれば、誰の口からも同じ言葉が返ってくるだろうことは、まず間違いない。

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 若者(や、それほど若くないひとたち)が、一家がちょうど一週間生きてゆくのに必要なだけの食料品――麦粉、ひまわり油、パスタ、少量の缶詰、わずかばかりの肉、高級菓子――が綺麗に積まれたショッピングカートをたずさえて、略奪に入ったスーパーマーケットから出てくるのを見ると、涙が溢れてくる。しかしまた、マルセイユから公共バスを盗み出し、ロードムービーのようにフランスを800キロも縦断してセーヌ=サン=ドゥニのスタン地区までやってきた子どもたちがいると聞けば、私たちは抑えがたい笑いに打ち震える。違いは、祝祭が今日、派手に生じれば、過剰に武装したRAID〔特別介入部隊〕とGIGN〔国家憲兵隊治安介入部隊〕の対テロ特殊部隊、すなわち自動小銃を積んだ装甲車両に乗ったフードの男たちが立ちはだかることである。

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 グレーバーとウェングロウはこんなことを教えてくれた。「われわれは、エリートたちが自分ならできると主張することと彼らがじっさいになしうることとのギャップを認識しなければ、近代のものだろうが古代のものだろうが、権力の現実性というものを理解することはできない。[]国家とは「政治的実践の仮面の背後にある現実ではない。われわれから政治的実践をありのままに見つめることを妨げているのは、仮面そのものである。それを理解したければ、われわれは国家が存在する意味ではなく、存在しない意味について注意しなければならない」。

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(青年ナエルが殺害される数日前、私は何人かの友人と会って、私たちが主催していた、モントルイユにあるミュール・ア・ペッシュのコレクティヴによって開拓された荒れ地にかんする、都市の土地と生活手段との関係をめぐる「フォーラム」についての話をした。それほど大きなイベントではなかった。2日目、私たちは、議論に無理やり政治を持ち込んで、道徳主義的な命令によって妨害しようとする「急進派」によって待ち伏せされた。なんてことはない。失敗せよ、もう一度失敗せよ、もっとうまく失敗せよ……ということだ。きっと私たちは配置を変えてもう一度やってみることだろう。いずれにせよ、ル・サンス・ドゥ・リュミュス(Le Sens de l’humus)というミュール・ア・ペッシュのアソシエーションとA4というコレクティヴ(亡命移民と農家がとりうる可能な関係を調査・発展してきた)とともに、私たちはすでに、そのアソシエーションが占有しているミュール・ア・ペッシュの土地の数区画を共同利用するための、共同事業のプロセスに着手していた。この共同作業は、少なからず地下活動的なハウジングの形態を立ち上げることにもつながるかもしれない。
 陰鬱なほうの出会いに戻ろう。バイクで家に帰る途中、ロマンヴィル、レ・リラ、バニョレのあいだにあるカビーレ・バーで一杯飲むために足を止めた。そのバーは、どこか寂れた感じの2本の通りに挟まれた一角に位置する魅力的な場所にあった。私はこんなありそうでなかった酒場トロケが大好きだ。その見つけにくさ、街のなかにひっそりと佇むすがた、バラバラな生の形式をひきつけるそのやりかたが好きなのだ。店主とはほとんど面識がなかったけれども、熱い抱擁で迎えてくれた。彼は次から次へと酒を勧めた。彼は奥の厨房にいる陽気な女性たちのグループを紹介してくれた。若いアラブ人たちが優しげな笑顔を絶やさずに行ったり来たりしているすがたが見えた。また、ケルトのドルイド風の頭で、長い白髪、60がらみの、押し黙った、幽霊のような見た目の男もいて、部屋の手入れをしながら、使用済みのコーヒーカップを丁寧にカウンターの後ろに戻していた。彼の背中に貼られた診断書――アプラグマティズム、無表情、無為状態、等々――を見るに、精神科のデイホスピタルでは、彼はもう統合失調症の診断をされていて、どれだけ多くの抗精神病薬を処方されたことだろうか、などと想像する。奥の部屋の女性といつまでも別れの挨拶を交わし、店主との抱擁に締め殺されそうになった後で、私は帰ることにしたが、事故を起こさず家までたどり着くために、バイクで蛇行運転しすぎないように気をつけなければならなかった……。)

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 暴動のあった六日間に起きたことは何だったのだろうか。私たちが目撃したのは社会的なものの断片化であった。私たちの政治的急進派という外面のなかには、繰り広げられたあらゆる共謀関係、あるいはそれらに先立つ共謀関係を掴み取ることはけっしてできないだろう(私の友人のひとりはベルヴィルでの暴動に加わろうとしたが、警察のスパイに間違われて引き返さざるをえなかった)。本当の意味で学ぶためには、何年もかけて、共感に満ちて心を砕いた、共同的な探究をおこなうことが必要だろう。

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 自由で共同的な生、私たちを解放し自由にする絆からなる生には、祝祭の瞬間がある。教会権力――かつての大司教、そして今日の社会的管理者――のしかめっつら(左翼の顔もふくむ)の生真面目さをこっぴどく侮辱することにおいて、生のアナーキーな無底性の開花に勝るものはない。

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 政治の白紙委任状を渡そうとする人々へ――社会的主体の表象に固執してみたり、そうした主体をアイデンティティの言語を通じて政治的主体に転ずることに、もはやいかなる基礎も存在しない。起源の論理は終わった。出来事の意味を明らかにするかもしれない原因と結果などというものを追い求めても無駄である。今日、革命運動はかつてないほど、中途からイン・メディア・レス始めなければならない。
 またも支配の残酷な出来事の後に起こったこの暴動的祝祭は政治の顕現であったのか。政治化されることを待つ社会的主体を探そうとするならば、論点を外している。政治やその主体化などではなく、メトロポリスというものが、途切れることのない自己生産という夢のなかにみずからをまとめ上げているものそれ自体を不可視化しようとする努力によって疎外された身体が、突如として具体化したのだ。存在の突如とした顕現は、暴徒という仮面をまとっている。すなわち、予測不可能で暴力的だが、ユーモラスでもある仮面である。だが、それにつづくのは、出し抜かれ、国家との契約が否認されるのではという危険を感じた警察の報復である。傲慢な顔の国家は、警察によってしかまとめ上げられないのと同じく、警察は取り締まるべき社会を創造する国家がなければ存在しない。これが国家の永遠の自己言及である。

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 数え切れない郊外バンリュー住人たちはこれからも、みずからを透明なものとして夢見る都市、魂も肉もなければ、外の世界ももたない、魔術化されて非物質的なものになったアルゴリズム的スペクタクルの、多かれ少なかれ不可視な形象として使われるだろう。その人工的なファンタジーに抗して、私たちは、物流倉庫で働く未来の労働者たち、未来のスーパーマーケットのレジ店員や配送ドライバー、私たちが高齢者を預ける家庭で働く未来の介護師、荒廃した病院で働く看護師や医師、あるいはデジタル・テクノロジーの滑らかな世界の下請け企業で働く不安的な技術者になるであろう人々、こういったものたちが乱入してくるのを目撃した。しかし私たちは、この社会がすでに死んでいることを知っている――それを統治していると主張するしかめっつらの連中や完全に武装して防衛すべしと主張する連中がいるにもかかわらず。つまりは、例のマクロン、ダルマナン、デュポン=モレッティ、そしてかつて約束したはずの司牧的契約をもはや履行することのできない彼らの啓蒙されたビジネスマンの一隊のことだ。資本の座標を通じて投影されたライフ・プロジェクトなるものは終わりを遂げた。

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 私たちはまだ来たるべき〈大祝祭〉を終えてはいない。ざわめきと怒りが過ぎ去った後、死者が讃えられた後、炎と苦しみが静まった後、蝶番が外れた時間が再び単調な直線に戻った後、共同体の新たなかたちが社会的世界の灰燼のなかから立ち上がるだろう。そうしたものはすでにそこにあって、新たな道の道しるべになっている。どこであっても、私たちの〈いま・ここ〉には、いくつもの〈よそ〉(des ailleurs)が存在するのだ。
 どこにいたとしても、私たちを自分のアイデンティティに閉じ込め、私たちを統治するべくお膳立てする代理=表象の舞台から逃れることは、いまも可能である。
 権力の破壊的な力に歯止めをかけるためには、それがまとう残忍な仮面を取り換えるだけでは十分ではないだろう。私たちが絆を鍛え上げ、みぶりの痕跡を辿ることを通じてこそ、それらの破壊の世界を不可能にするさまざまな可能性が開かれるのだ。



――2023
年、79

 

 

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