ハイナー・ミュラーについて
P.L.W
不可視委員会の『いま』の重大な功績はハイナー・ミュラーのコミュニズムを復活させたことである。ミュラーにとってコミュニズムとは絶対的な孤独を与えるものであり、集団性を提供するのは資本主義なのだ。
ミュラーのコミュニズムをつらぬくのは死への特異な思考である。たとえばミュラーにとってニーチェは「宇宙がいつか消滅する運命にある」として、そこで滅亡をひとつの祝祭たらしめるという選択をすることにおいて、その「目的としての享楽」においてコミュニストである。ブレヒトもそこにたって「すでに久しく私に死の恐怖はなかった
私自身がいなくなったとしたところで
私には何ものもなくなりはしないだろうから
今、私には出来た
私のいないあとのツグミの歌をも
ことごとく喜ぶことが」と書いた。これに対してブルジョワジーを突き動かすのは死への恐怖であり、これを頽楽として批判するハイデガーは死を先取りすることでファシズムを開いたのだ。ミュラーはアウシュヴィッツへと導いたものは、善でこそあれ悪ではないと断言する。善は選別する意志を有するでことあり、その排除こそが文明をつくった。ニーチェと同じくコミュニストであったカフカもまた「不滅であろうと意志しない」作家であったが、その偉大さは「書くということを通じてみずからを強制収容所の囚人たらしめた」ことにあったのである。
2017年8月、バルセロナ、バージニア、そして気象「異常」という一連の出来事はわれわれのいう「文明の死」のあらわれであり、このミュラーのコミュニズムのみがこれへの回答となるだろう。