死刑と厄災



P.L.W
HAPAX」9号のウェイクフィールドはシュールマンを想起しつつ書く。「アナーキーの原理は、福島で進行しているマネジメントに注目することで明確になる。なぜなら、岩盤に割れ目が開くときこそ、世界はそのすがたをあらわにするのだから」。7名への死刑執行は死刑を問題にしえないリベラルを打ち砕き、現在が支配層にとって内戦的状態にあることを告知した。この執行が西日本における気候変動による壊滅的被災と同時になされたことはきわめて象徴的である。死刑か被災か、これこそ3・11以降的な事態であり、この世界がすがたをあらわにした結果としての断層をさししめしている。この断層の露呈それ自体が革命の到来を意味することはない。この世界の終わりは新たな始まりではないのだ。これこそオウムの自滅的な戦争がみあやまった地点であり、オウムの「問題」が凝縮されたポイントでもある。今回の被災は国家が人民の救済を口先ですら放棄しはじめていることをしめしたが、これこそが「福島的マネジメント」にほかならない。両者はもはや「終わりなき終焉」だけがあり、すべての生は廃墟、もしくは砂漠のただなかにあることを教える。そしてアナーキーとはこの断層を超えることなのだ。

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