レンヌ小噺


World's Forgotten Boy
前回につづきフランスのコレクティヴNPPV(マジで知覚するためのニュアンス)が公開している同名のパンフレットの第3号に掲載されたテクストの翻訳である。フランスの地方都市レンヌ。現在も学生たちによる激しいストライキが繰り広げられているこの地で、685月何があったのか。パリだけでなく、様々な地に飛び火した蜂起。その一つの具体例が、当時活動していた三人によって泥臭く、そして愉快に語られる。

 

レンヌ小噺




六十八年三月には運動がレンヌにも波及した。Y、J、そしてGはボザール(美術学校)を占拠していた集団のメンバーで、彼らはわれわれに語ってくれた。



五月最初の日



Y1967年には校舎がまだオッシュにあって、でも引っ越しして今はヴィルジャンにある。俺は地図づくりの仕事をしてて、JとGはオッシュ広場のボザールの学生だった。そんなときに68年の運動が始まったんだ。俺たちはそのことを夜にラジオで聴いて、パリで蜂起が起こったことを知ったんだ」



J「ニュースで聴いて、「やべえ、明日の朝なんもしないわけにはいかねえ」って言い合ったよ。そんなわけでボザールに集まったんだ。そんで、Yと、俺と、あと他に誰がいたっけ。まあ集まって言ったんだよ。「へいへい、あんたらパリで何が起きたか知ってるか」。で、こう切り出した。俺たち、つまりボザールの人間はもう普通に講義なんかやるべきじゃないってね。あとこんなことも言った。自分らはここの学生なんだ、ってな。そしてボザールを閉鎖するために何かしなきゃいけないと考え始めたんだ。要は、学校を占拠しなきゃなって」



Y「あとこれも言わなきゃなんだが、その時はもうLCRのやつらが動き始めてたし、毛沢東主義の団体もいたな。マジで政治に熱心な連中がいて、そいつらは運動をどう管理するかっていうコツも知ってた」



G「あと、この状況でどうすれば得になるかってことまでな」



おめえバカか。



Y「ボザールには実際いろんなやつらがいたよな」



G「おめえバカか。女とか二人しかいなかったじゃんか。あと食堂に来てた女はどっか別んところから来たやつで、ボザールとはぜんぜん関係ねえやつだったよ。そいつはどっかで秘書をやってて、なんとなく来たっぽい」



J「ボザールの学生の3分の1はかなりやる気があったわけだ」



Y「晴れた日には学生の4050パーくらいが集まったし、あと何が起きてるかちょくちょく見に来てた男どももいたな」



J「そうだな、アーティストの3分の1はやる気があって、寝泊りもしてた」



Y……あー、あとは法学部を占拠したりなんかしてな」



集中



Y「最初は学生運動を少しばかり組織しなきゃならなかった。それと、ボザールに食堂や託児所などなどの仕組みを整えなきゃいけなかったな。そしてその後ガソリンとか食料の配給問題が起こりはじめたんだ。労働者たちはみんなスト中だったからね。それがあって労働者たち、特にシトロエンの労働者たちと合流することになった。この合流はま結構うまくいったな。そんで、それからは農家に会いに行っていた。スト中の労働者たちに食料を送るためにね。そんなこともあってボザール組はマジで忙しかったんだ」



G「みんなで農家の手伝いにも行ってたしな」



印刷工房



Y「大量のビラも刷られてたよ。ほとんどのやつはパリの有名な工房が作ったものを真似してた」



J「何か創作物を作るというよりかは、単強烈なメッセージを伝えるんだっていう意図があった」



Y「それでも少しはローカルな創作物もあったぜ。印象に残ってるのだとこんなのを覚えてる。投票と重病、乞食のゲス野郎





ロリアンにて



Y「ドゴールがバーデン=バーデンのマシュ*に会いに行ったとき、シルクスクリーンで大量のビラを刷って、ロリアンのみんなにそれを持って行こうと思ったんだ。でもそれが届くことはなかった。レンヌから出るときにルノーの4Lで事故っちゃったんだ」



J「ねえこの傷見てくれよ。これはその歴史の記憶なんだ(笑)」



Y「気絶から目が覚めてすぐ、テープレコーダーとか持っていたものとかを隠した。ポリが来たからね。仲間の連中は完全に酔っ払ってて、俺たちをブツの山の中に置いてきぼりにして、再出発できたんだが、俺たちはもちろん、持ってたもの全部を没収されちゃったよ(笑)」



J「その後病院に着いた時にみんなが言ったよ。「おい、こいつらサツにボコられたみたいだぞ」ってな(笑)」



*訳者註:ジャック・マシュはフランスの軍人で、一九六六年からドイツのバーデン=バーデン市にフランス軍の駐ドイツ司令官として着任していた。一九六八年の五月二十九日、ド・ゴールは彼にパリのデモ隊の鎮圧を要請しにバーデン=バーデンへと赴いた。



紙と食いもん



Y「俺たちのビラはウエスト・フランス新聞の用紙リールの残りで刷られてた。と言うのも、リパブリック[訳者註:地名]の地下にまだその輪転機があったんだ」



J「そこで働いてた労働者とは仲が良かったからね」



Y「言っとかなきゃならないんだけど、俺たちの何人かが学生代表としてウエスト・フランスの仕事をちょっとやったんだよね。だからちょっとは顔見知りだったんだ。そう、学生と労働者のそこそこ強い協力関係はそこから始まったんだ」



J「ボザールの食堂へ労働者たちを呼んで良かったなと思うよ。いろんな活力をまとめ上げるのに一役買ったんだ」



G「食堂にはいろんな人間を受け入れたよ。シトロエンのみんなが来た時なんだけど、彼らは全く違う世界に来たみたいな顔してたな!」


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