ニック・ランドについて

NEZUMI

木澤佐登志の新著と五井健太郎による「暗黒啓蒙」(現代思想「加速主義」特集)の訳によってニック・ランドの本格的な紹介が開始された。ニック・ランドはあきらかに今日の反革命の、ある極限であり、これにリベラルや人間主義の政治を対置させても無力である。それどころか進歩主義的な言説はランド的なファシズムといっけん対立しつつも相補的なのだ(「HAPAX7号、「相模原の戦争」を参照)。これへの批判はランドが意図的に誤読しているドゥルーズ(ガタリ)をファシストから奪還するという急務も伴う。残念ながら「暗黒啓蒙」と同号に掲載された小倉拓也のニック・ランド×ドゥルーズ論はランドに対して無力である。小倉はランドのタナトスにあふれた「器官なき身体」論に対してドゥルーズに「生への閉塞とそこからの打開」なる実存的な欲望を見出してこれを対置させようとしているのだが、ドゥルーズの「消尽」とはそのようなものなのか。小倉はここでこそ彼の著作での核心である「単為生殖」をもってランドと戦うべきであった。前回、このブログで書いた通り、ランド的なタナトスとしての「器官なき身体」はより徹底させて江川隆男的な「不死の身体」にいたるべきであり、ランドはその過激さの不徹底によってこそ批判されなければならない。「暗黒啓蒙」はランドの優生学的進化論とそれを基礎にした新たな種によるレイシズムの超克という展望をあきらかにしている。ここでわれわれは小泉義之の「生殖の哲学」を想起する。しかし小泉の底にあるのはドゥルーズの「劣等人種になれ」という呼びかけであり、そここそがランドとの決定的な敵対的な要所となるだろう。そもそも進化論は船木亨が指摘する通り、西欧が抱える優生思想から発生したものである。だからこそドゥルーズは(ランドが嫌う)『千のプラトー』で進化にかわって「逆行」を提起したのである。同書のいたるところで書かれている通り、そもそも人間とは進化した種と言えるのか。それらを踏まえた上でわれわれは同時期に紹介されたエーデルマンに倣っていわなければならない。「未来はない。未来はここで止まった」と。これが加速主義という名の未来主義に対する答えとなろう。

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