「HAPAX」11号の予告
S・G
間もなく「HAPAX」11号が刊行される。今号は「闘争の言説」、すなわち実践を問う特集とした。現在、私たちが生きているのは極右化と難民化を両極とする破局的な事態である。どの現象を取っても、もはやこの世界にはオルタナティブな可能性などはないことは明らかではないか。この破局を前にしてこそ「革命」、そしてコミュニズムは開始されなければならない。その意味でもわたしたちは開始から一年を迎えようとしている「黄色いベスト」=ジレ・ジョーヌに注目してきた。この号では「COMMUNE」に掲載されたドキュメントの訳と論考でこれを考える。その論考は「蜂起=革命」と「改良=運動」をはっきり区別して、ジレ・ジョーヌが革命に他ならないことを提起している。もはや「革命」と「運動」は連続するものではない。この特集の準備のさなかに開始され、いったんは終息させられた(しかしなお継続している)釜ヶ崎のセンター占拠もそのことをあかしている。そこでも「革命」は「運動」を超えることによって作り出されたが、そこで重要なのはそれがある種の偶発性、身体性において実現されたことだ。そのとき、「勝利」や「敗北」もまた再定義されなければならない。それを捉えるためにこの号では李珍景と村澤真保呂にインタビューを行った。またこれに寄稿された小泉義之のテクストは「運動」的な諸傾向への痛烈な一撃である。