香港から放たれた矢
KID
香港の4ヶ月におよぶ蜂起は新たな政治を創出しつつある。この闘争の行方がどうなるか、誰にも明言することはできない。しかしたとえその先にあるのが悲劇的なものであろうと喜劇的なものになろうとも、この闘争がつくりだしたものの意義は失われることはないだろう。香港で起こっているのは「革命」であり、その栄光は革命それ自身のなかにある。
2014年の雨傘運動はいまの闘いにとっては反面教師でしかない。良識的な大学教師や弁護士が煽動する、大学生————保証されたセレブ————の運動であり、合法主義に徹した末、諸グループのヘゲモニー闘争と政党政治への回収のなかで息絶えた。そのリーダーたちは、いまや香港の状況をツイッターで報告することしかできない。その総括にたっていまの香港では五大要求以外の言説は自制されている。主義や主張によって運動が分断することをさけるためだ。筋金入りの独立主義者ですら、決意してレンズのまえに顔をさらしたものの、独立を叫ぶことはなかった。その後、彼はアメリカに亡命した。
街頭行動の中心的な担い手たちは13歳から16歳の若者(というより少年少女たち)である。彼、彼女たちが街頭にでることを親たちは禁じるが、かわってその行動をあらゆる面でささえる大人たちのサポート網がある。仕事をクビになった若者たちにも、高待遇の労働を提供するテレグラムグループが存在している。先頭をになう若者たちは少人数でブロックを形成しているが、お互いの名前すら知らない。或る友人は、ただ近くに住んでいるという理由のみでブラックブロックのグループを形成したそうだ。彼らはテレグラムでやりとりしながら戦術を決定する。反グローバリズム運動のアフィニティグループによる組織論をこえる新たな戦術と組織がうまれているのだ。
香港の同志によれば、今回の蜂起は香港という都市の崩壊を表現している。再開発によって家賃は暴騰して、一方、中国と欧米の間で未来は閉ざされていた。若者たちは、法律で居住が禁じられた工業地帯でシェアハウスを営んでいる。まともな仕事はない。みな、未来が見えないと語る。若者は、繰りのべられてきた既存のシステムの限界を直感している。今回の蜂起は、都市という生物の脱皮運動でもあるのだ。
あらゆる駅の周辺にはステッカーやフライヤー、グラフィティがあふれている。そして入場機やチケット販売所の多くが破壊されている。そればかりではない。破壊の痕跡はあらゆるところに存在する。この痕跡は日曜ごとに更新されるだろう。大杉栄のことばが思い出される————民衆の方がよほどうまく街を破壊する。
これらからいえるのは、香港という都市が全体となって蜂起を起動させ、維持させているということだ。どこにも帰属を拒まれたがゆえの不安は蜂起への情動に反転された。その不安はゼノフォビアと背中合わせになっている。中国資本への攻撃が、資本そのものに向かうことはあるのだろうか。中国による統治への攻撃が、統治そのものに向かうことはあるのだろうか。彼/女らが想起しているのは、1967年の「左翼」暴動————中国という「左翼」に支援されたイギリスからの独立運動————の帰結である。
センター占拠時に釜ヶ崎に住まう同志の語ったことばが、香港でも反復されていた————出来事がつくりだすのは流れが集うことによる力能の増大である。いまの香港の蜂起の源流は、2011年の港湾労働者によるストライキである。繰りかえすが、雨傘運動ではけっしてない。蜂起の維持を可能にするサポート網の厚みのひとつが、そのストライキで合流した流れを維持する場所の存在である。私たちがいますぐにでも手放さなければならないもの、あらゆる段階論的な思考法。
法案は正式に撤回されたが、蜂起が終わることはないだろう。この蜂起は、どこへ向かうのだろうか。ファシズムが、コミュニズムよりも好まれない理由はどこにもない。しかしこれらは蜂起を低めるものではない。まぎれもなく香港の蜂起はそれ自体、来たるべき人民へのよびかけである。