香港2019: 鏡の国の大衆運動あるいは漂移する遊行(下)

[11月8日、一名が死に、11日には青年が銃撃された。報道では8日の事態をはじめての死者としているが、現地では7月の地下鉄で3名が殺害されたことは公然たる事実となっている。Shiuによるレポートの後半は日曜の街頭行動=蜂起を伝える

Shiu

Hong Kong 2019: Mass Movement Through the Looking Glass
 or a March in Dérive 


2019年10月20日、午後1時半、九龍遊行


   道可道也、非常道也、名可名也、非常名也、無名… (老子)

 

 翌日午後1時すぎ、待ち合わせの場所から遊行の出発地点、尖沙咀Tsim Sha Tsuiへと向かった。路地から市場の横道を通って 九龍を南北に走る大通りNathan Road(彌敦道)を海の方向へと進む。 巨大な広告が掲げられた歩道を歩いていくと、だんだんと人の数が増えてきた。これがデモかと思っているうちに、いつの間にか人々が大通りの全車線に満ちている。前方の彼方から「Fight for Freedom、Stand with Hong Kong」「(ホン)(コン)(イェン)(ファン)(コン)」の合唱が聞こえ始める。その後、大通り沿いの九龍モスクの階段で、近くに住んでいるTさんの友人のお母さんと合流。一緒にいた方が安全だというわけである。ちなみに緊急条例のもとマスク禁止法というのが施行されているのだが誰も守っていない。Tさんの友人のお母さんの顔もサングラスと青白い衛生マスクで覆われている。

 群衆の流れはさながら歩行者天国か、縁日の人混みのようだ。しかし同時に、群衆の黙々と歩む足取りには、早くはないが、何か落ち着きのなさがある。だんだんと視界が雨傘で遮られるようになる。 しかし、まだ私たちの周りでは叫ぶものはいない。

 やがて重慶大廈(Chung King Mansion)の前を通りかかる。ここは90年代に世界中でカルト的な人気を博した王家衛監督の『恋する惑星』(原題:重慶森林)の舞台でもあり、世界中のバックパッカーやアジア、アフリカの移住者の住処である巨大住商混合雑居ビルである。しかし、携帯電話のカメラを掲げた人だかりができていて中はよく見えない。垣間見るに、南アジア系の男性がビルの入り口の踊り場に立って演説をしている。拍手が巻き起こる。よく聞こえないが、掲げている紙切れに書かれた内容から、デモを支持する内容らしい。

 この数日前に、上記の民間人権陣線のリーダー的な人士の一人が南アジア系と思われる暴漢グループに襲われ大けがを負ったという暴行事件のニュースが流れていた。被害者はゲイであることを公言しLGBTの運動でも活発に活動しているという岑子杰Jimmy Sham)氏である。おそらく、この人混みは、暴行事件によってインド、パキスタンなどにルーツを持つ南アジア系と、広東系の人口の間の潜在的な緊張感を触発している脈絡(それは植民地以来の社会的な構造とともにある)と関連しているに違いない。重慶大廈前の人垣からちらほら上がる歓声や拍手は、その緊張の弛緩を表明し、促そうという信号なのかもしれない。

 重慶大廈と九龍モスクとはすぐ目と鼻の先である。前者が移住者の住む場所になり、後者がその信仰の場なのだ。デモの渦中にいて夜になって知ることになるのだが、この日、九龍モスクはそのそばを私たちが離れて間も無く事件に巻き込まれる。

 その事件とはデモの鎮圧に向かって走行中の警察の放水車がモスクの前にいた数名の記者や見物人めがけて、青く着色された催涙液の混ざった水を浴びせたというものであった。。当然、モスクも垣根や階段が青く染められるという被害にあった。当然、こうしたことは全て市民や記者によって撮影され共有される。しかも、放水車の照準操作が車内のビデオモニターの映像によるビデオゲーム的なものであること、ゆえに偶然に目標を撃つということはないことも含めてネット上に晒されている。結果として警察は言い訳ができない。(ただ、ここまでの事実が暴かれるのはネットであって、テレビだけ見ている中高年にはこうしたニュースは届かない。この文章の冒頭であったような上映会が開かれるのはそのためだ。)もちろん、いくら警察ACABとはいえ、まさか意図的にモスクそのものを攻撃しようとしたわけではないだろう。いずれにせよこの出来事があきらかにしているのは、30万人以上と言われる香港在住のイスラム教徒を含めた市民に対して、警察当局がさしたる敬意を持たず、結局自分たちが何をしてもどう思われても気にしないし、絶対に罰されないと思っているということである。

 重慶大廈の周辺で起きている喧騒に惹かれる意識を消し去るように、遊行の列は歩みを推し進めていく。やがてすぐ前を歩いている人々が、黄色とオレンジの縞模様とその片側に青地に白い星が描かれた旗を取り出して両手に掲げ始めた。カタロニアの旗の群である。香港の人々はカタロニアの状況に非常な関心を持っていて、お互いの運動を共鳴させたがっているようだ。香港の我々の友人たちはロジャヴァに注目し危機感を持っているのだが…。そんなことを思っていると、その向こうにはひときわ高く目につく星条旗が現われた。デモ隊は反対車線の方向に移りUターンを始めた。告知された集合場所は海に面したソールズベリー公園であるがそこは警察が入れないようにしたことで、私たちは自分たちの判断で適当な横道、その名もMiddle Road(中間道)にそれる。

 このような動きが今回の運動の特徴として掲げられる「Be Water」であるが、それはブルース・リーのセリフだ。。つまり、止められないよう、水の流れるが如くに動くということだ。現地の友人によれば、かつての雨傘運動のオキュパイが一つの場所に集中することで封じ込められたということに対する総括から発展した戦術であるという。力を分散させることで、当局の対応をより困難にするというのだ。そして、同じ友人によると、この流れる動きはネットの生中継映像やチャットアプリなどを使ったリアルタイムの情報共有技術や、大まかにはこの間の遊行の経験から感覚的に出来るのであって誰かが統制してできているのではない。それは共有脳が現勢化するものである。

 コン、コン、コン、カーン、カーン、カーン、キーン。コンコンコンコン。ドン、ドン、ドン、ドン、といった音が、群衆の発散するホワイトノイズ越しに聞こえてくる。

 何なんだと反射的に振り返ってみると、たった今通り過ぎた中間道の角には地下鉄の出入り口があり、マスクをしている以外は黒装束でもない普通の服装をした何人かが、代わる代わる出入り口のガラスのファサードを割ろうとしている。ヒビは入るがなかなか割れない。そして、そこからやや離れたところに傘を背にした人の塊が路肩にある。 こちらは黒装束がかなり混じっていて、男性だけでなく女性もいるようだ。

 そこはホテルの玄関だった。ホテルの車が乗り入れる場所には石畳がある。 雨傘に隠されて、石畳を剥がせば太古の砂浜があるかどうかは知るよしもない。が、しかし、アジアの高級ホテルの玄関には、コロニアルな、つまりヨーロッパの都市に似せた、石畳があり、投げるに叩くに手頃な石が手に入るというわけだ。

 石畳が剥がされる音、ガラスを叩く音に、しばし眺める人はいる。しかし制服を着たホテルの従業員を含めて誰も制止しようという様子はない。

 香港の地下鉄MTRはこの間、「反送中」デモの参加者の搭乗や混乱を恐れ、あるいは中国政府やメディアの圧力によって、通常の運行をしないことを決定したりした。そうした出来事がきっかけで、「港鉄」(gong titが「党鉄」dong titと名付けられ(韻が同じ)、中国共産党の手先と嘲られることとなり、破壊の対象になってしまった。私自身も今回の旅で、外見は問題なくとも機能不全になった切符の自動販売機や「党鉄」やChinaziなどと落書きだらけになった、駅の出入り口に何度か出くわした。

 また街のそこかしこには、戯画化された豚と我要攬炒と記された落書きがある。我要攬炒(「みんなまとめて焼くんだ」)という言葉は黙示録的な階級闘争世界を描いたアメリカのSF小説・映画ハンガーゲームの中で、主人公がスポーツ化した闘争の視聴者に向かって叫ぶ言葉から来ているのだが、豚は香港の2ちゃんねるのようなサイトLihkgで流通している香港のブルジョア的な自画像のアイコンだという。

 誰も破壊を止めようとしないのは、必ずしもそこに表現された意味や情動が理由ではないかもしれない。しかし、私たちの友人たちのけっして肯定的な意味でない指摘によれば、破壊はあくまでも中国政府や中国資本が対象になっていて、地元の銀行や宝石店などには絶対に手が出されることはない。地元の銀行にグラフィティなどしようものなら叱られたりするのだと。現地で出会った別の友人は、確かこんなことを言っていた。我々が物と新しく関係を結ぶためには破壊は必要なのだと。

 ビルの谷間を抜けて、幹線道路に出る。道路が立体交差をしている場所に差し掛かる。彼方に見える普段は車だけが通るであろう高架の上の道路も下の道路も人で埋まっている。

 その手前に、高架へと上下に分かれる車道の行き先を示す交通標識がアーチ状にかかっているのだが、そこに、女性を含む何人かの黒装束が登って星条旗を掲げながら、中国客運碼道China Ferry Terminalの、中国とChinaの字に黒のスプレーペンキでバツ印をつけ、 黒い布に格言が書かれた垂れ幕を掛けている。その下を遊行する群衆は拍手喝采している。こうしたことをどう理解したら良いのだろうか。 香港の地政学を表現するには錯乱という言葉しかない。

 これらについてデモから帰ったあと、私は友人たちに質問した。学生運動に基盤があり労働運動的な傾向を持っている彼らは次のように答えてくれた。

この運動は大衆運動であり、左翼か右翼かの運動ではない。もちろん大衆は、資本主義に親和的であり、新自由主義的でさえあるかもしれない。そして中国人を憎むのはひどい。しかし、同時に高騰する地価による住宅難に苦しむ大衆は、毎年中国からの移民が 、 福祉や公共住宅へのアクセスで優遇を受けているのではないかという疑念を持ち、彼らが中国政府を支持することで政治的に無力化されることへの懸念を持っている。


排外主義のリスクはもちろんある。しかし5年前よりは希望もあるのだ。私たちは私たちの行動を評価する練習をしなくてはならない。現在の香港の人々は誰であれ自分たちの運動を支持してくれる人たちを歓迎する傾向がある。その意味で歴史的な意味における香港人のアイデンテティではなく戦略的な香港人、つまり香港人加油(頑張れ香港人)という人を受け入れるオープンな範疇としての香港人があって、それがこの運動における香港人だ。しかし、同時に、香港人として認められず存在が無視されてきた、白人でない南アジアなどの出自を持っている移民に対して、そのような尺度で評価するのはフェアではない。彼らは香港の運動をサポートするかどうかに関わらず受け入れるべきだ。


 ある別の友人は、彼の仲間の戦術・実践を語ることで疑問に答えてくれた 。中国からの移民二世のその仲間は、地元で黒装束グループを組織化している。そして警察との戦いの中でお互いに対する信頼関係を培っている。仲間同士の信頼なしには黒装束の活動はできないからだ。しかし、彼の属する、町内の黒装束グループはお互いの本名も知らないという。しかし、闘争を共にすることで、少しずつ打ち解け、政治的にセンシティブな話もできるようになってきているというのだ。

 この運動がリーダーもなく動くことができるのは、そこに論理なしに伝播し一体感を作りだす記号や物語、身振りのパターン(ミーム)があるからだ。やたらと星条旗が持ち出され中国にバツをつけたりするのは、右翼であるというよりも、そこに虚無がある証左である。星条旗はその虚無の中で、自分たちが闘っている中国という大怪物が認めるほとんど唯一の大怪物の旗印なのである。イギリスやその他コモンウェルス国家やG20の旗などは小怪物の記号であろう。この錯乱を少しでも理解するにはコンピューターゲームや漫画にハマる無我の境地を思い起こすべきであるこのような無思想性に目くじらをたてるよりも、私たちの友人たちはそこで起きる出来事に介入することで別の欲望を作ろうとしていることに注目している。もちろん友人たちも言うようにそこに介入することにリスクはある。彼らはこの運動に甘い見通しを持っているわけでもない。

 香港は日本をはじめとする他の東アジアの後発資本主義国家のようなナショナル・アイデンティティを欠いている、それらの国から見れば似ているようで 、ナショナルなもののベクトルが逆を向いているいわば鏡の国である。 例えば、Tさんによれば、香港の人たちはサッカーのワールドカップなどを見て楽しんだりするのだが、彼らは香港のチームを応援することもなければ、決して中国を応援することもない。皆それぞれ自分の好みのチームを選んで応援するのだという。だから、レノン・ウォールに見られるように、世界が流入して混在している一方で、普通の国になりたいというような(どこかで聞き覚えのある)、本土派と呼ばれる独立主義者たちも存在したりするのである。しかし後者の均質さは現在のような政局の中ですら大衆的支持をほとんど得られず、前者の雑多さが圧倒的に強い磁場を持った場所=世界なのだ。

 誰かが高架道の上から広東語で下の道路を歩いている人々に向かって何か繰り返し叫んでいる。何のことかわからないのでTさんに聞く。上着の裾をズボンに入れろ、なぜなら腰に拳銃を帯びた公安などが潜んでいるのではないか、ということらしい。 絶対にその辺の町の人の中に、密告している人がいるんだと、Tさんの友人のお母さんも言う。

 前方から消防車が デモ隊の流れに逆らってやって来た。行進していた人の流れは、しばし両側に道を開けて止まり、人々は消防車に拍手を送っている。これはなぜなのか。Tさんに聞くと、 警察が憎しみの対象に転落したのに比して、消防隊は公僕として信頼されているとのことだ。また警察が怪我人や不明者などの調査で疑惑を呼んでいるのに比べ消防は信頼を得ているのだとも。香港の統治自体が市民と一国二制度への忠誠の度合いで二分されるのか。分断が民衆対政府(統治機構)の軸にあるのではなく、民衆の想像力の中で統治機構が分断されているとでも言えるのだろうか。

 しかし私たちを含んで遊行の群れの大半は水になって歩き続ける。香港人、加油!香港人、反抗!! Five Demands! Not One Less! というわかりやすいコールがわかりにくい広東語に混ざってひたすら延々と響く。時折、感極まったように、 皆の手が挙げられる。五本の指を示すように。

 広々とした交差点に出る。向こう側が高速鉄道の駅(のちに香港西九龍駅であることがわかった)だという方向は、施設の工事が仕上がっていないのか建設現場の保護に使われるプラスチック製の簡易ガードレールなどが残っている。それらの資材を使って黒装束部隊はバリケードを築いている。そして、ここでも石畳を剥がす音が聞こえ、その行為を監視から守る雨傘の群れが見える。これも道にばらまいて警察車両の通行を阻止するためのものらしい。 信号もガンガンと破壊され、車の流れも簡易ガードレールを使って迂回させ、交通整理までやっている。これはかなり計画的かつ組織な作業である。現地の仲間からのちに教わったネット記事によると、バリケード、物資補給、通信、退路の確保などのミクロなレベルでの闘争の組織化は「ウォークラフト」などの大規模多人数同時参加型オンラインRPGから戦術的着想を得て組織されているというhttps://matters.news/@zoezhao/時代遊戲-zdpuAvDCA9LJirBxRY3xP75eZYZ7CPMTXu6U38mrGwQ1F2cHi?fbclid

 デモ隊の作ったバリケードを勝手に超えて(誰も怒ったりしない)Jordan Road(佐敦道)沿いに、もと来た大通りNathan Road(彌敦道)に戻る。途中の公園をちらりと見ると、移住民の女性たちだろうか、ピクニックをしているようだ。香港の多くの家庭では、こうした移住女性の家政婦が働いているという。のちに暗くなってデモから友人たちのスペースに戻ると、こうした中国語のできない移住民向けにデモによって通行止になったり運休になったりした交通機関の情報をSNSを通じてシェアをする活動をしていた。

 路地の食堂に入って遅い昼食を食べたあと、Nathan Roadに出ると武装警察と放水車が南から北に向かって走ってくるところだった。その前を黒装束たちが人々に注意を呼びかけながら退却してくる。我々は黒装束のギアを着けているわけでもないので、観光客のふりをして警察が通り過ぎるのを待つことに。すでに催涙弾を浴びたのか記者が咳き込みながら水の補給を受けに来る。続いて車道をゆっくりと駆けてきた警察部隊は、中央分離帯を中心に歩道に向かって警戒態勢の姿勢で仁王立ちする。サイレンを鳴らしながら放水車両を先頭に警察車両が通り過ぎる。通りの店舗の壁を見ると一部は新たにグラフィティに彩られ、いくつかの店(銀行などの中国資本)は完全に破壊され、地下鉄の出入り口は燃やされている。昼前に、私がぶらりと入った書店、中華書房のショーウィンドウも粉々にされていた。しかし、こうした状況で掠奪しようとするものも、それを容認するものもいない 。働かずに取ることへの罪意識は生産主義的社会福祉(街角のコンビニがその最たるものであるが)に飼いならされた東アジアに根深いものがある。

 次の武装警察の部隊が放水車の後尾についてNathan Road を北上してくる。透明な長い盾を持った部隊と催涙ガスのスプレー腰につけた前衛を前に、様々な装備を持った部隊が続く。あるものは一方の手に棍棒、もう一方の腕に透明な小型の盾を装着した古代ローマの闘技士のような装備を持ち、他のものは催涙弾またはゴム弾を発射する銃を持っている。そして一様に頭部のヘルメットから肘、脛、足元まで甲冑と装置に覆われたロボット戦士さながらの姿である。歩道を記者たちが彼らについていくのに我々も従って一緒に歩くが追いつかない。道路をのしのしとかなりの速度で通り過ぎていく武装警察部隊はかなりの威圧感である。

 ちなみに、香港の武装警察は今でもイギリス統治時代からの3人のイギリス人の指揮官によって率いられている。さらに付け加えれば、民衆の鎮圧に催涙弾が使われたのは文革の影響下で起きた1967年の暴動で数千発(うち千発ほどが本物)の爆弾が仕掛けられた香港が最初だといわれる。そして香港での鎮圧戦術はのちにイギリスに逆輸入されサッチャー政権による鉱山労働者鎮圧に使われたという。

 軍事行進をするがごとくの速度で通り過ぎた彼らは放水車の後ろ側に陣をひいてゆっくりと後退し始めた。そのうちどこからかデモ参加者が増えてくる。彼らが後ろ向きに下がっているからか、だんだんと、あちこちから思い思いの生きの良い声が上がってくる。Tさんから警察を嘲っているんのだと説明された。

 奴らを背景に自撮りする人たちもチラホラいる。距離は50メートル、 100メートルを超える。どんどん罵声は高まる。この距離では威圧感も薄れる。 僕もその様子をカメラに収めていると、バンという音、そして煙が……

 Tさんとあらかじめ決めていた方向の横道に退避し、ある程度離れたところで元の方向を見た途端に、そよ風が吹いてきた。これは催涙ガスの風下だな、良くないなと思ってさらに離れようとしたのだが、目がだんだんと痛くなり涙が溢れ出てくる。Tさんもやられたようだ。

 涙で前が見えないのだが、さらに路地の方向へ移動しようとしていたら誰かに肘を掴まれる。 もう少しガスから逃げたいという思いと、自分でなんとかしたいという反射的な反応から肘を振り切ろうとするが、目がよく見えない上におだやかに両ひじを掴まれたので諦めて指示に従う 。どうも二人一組の若い男女の救護チームらしい。あらかじめ腰のカバンから準備してあったスポイト状の容器を取り出し、上を向いて目を開けるようにと指示する。Tさんが、この人は日本から来たのだと言ったのか、最初、広東語か英語で話していた彼らは日本語で話しかけながら 水を容器から点眼しようとする。上を向いて、 目を開けて右に左に頭を傾けてと、確かに外国人の言葉遣いであるが驚くほど優しい口調で諭す声に従って点眼を受けると、すぐに涙は止まった。私が感謝の言葉を述べると、彼らはすぐに立ち去っていった。

 なんとも魔法のように不思議な出来事だった。そして、何よりも彼らのあまりのテキパキとした効率の良さに感心してしまった。黒装束部隊から看護隊まで、どう見ても10代から20代前半である。その緻密な組織力は驚くべきものである、しかし同時に彼らの身振りには遊戯性も感じられる。彼らはオンライン、オフラインを交差させながら水滸伝さながらの群像劇を作り上げる義賊なのだ。

 確かに黒装束が星条旗を掲げていたりするのはまともではない。しかし、昔ながらの左翼がたまに主張するような(北米ではよくある主張)、香港の運動イコールCIAの扇動だ、などということはあり得ないだろう。もちろんCIAはどこかで関与しているだろう。しかし、こんな人間のエネルギーの質量が外からの注入だけで成り立つわけがないのだ。 それぞれがその場でできることをする。これこそ共有脳でありコミューンではないか。

 そしてその夜のことである。仲間の活動スペースに戻ってみなと話していたところ外が騒がしい。ヘリコプターが旋回している。外に出ると20メートルも離れていない場所で逃走する若者を武装警察が捕縛しているではないか。仲間の一人が路地に出て若者に名前を聞く。後ろ手に手首を縛られた若者は名前を叫ぶ。 行方不明になった人や不審死をした人もいる中、名前を聞き出すのだ。ヘルメットを被らずマスクだけをしている、重量級の柔道選手ような体格の指揮官がこちらを睨みつける。特殊警棒を手にゆっくりと近づき、スマートフォンで撮影している仲間に向かって 一喝する。

 さらに武装警察は数を増やす。走りゆくもの。捕縛現場を取り囲み、こちらを注視し、点滅するストロボライトをこちらに向ける。こちらからは何も見えず、向こうからは丸見えだろう。 その光の充満の中で私のスマートフォンの画像は途切れている 。

 友人たちの話によれば、2014年の雨傘運動や2016年の旺角Mong Kokで起きた暴動の時はリーダー的な存在がいたのだという。2014年にはリベラル左派が、2016年には香港の独立を主張する本土主義右派がヘゲモニーを握っていた。しかし、今や運動は彼らの方を向いていない。ちなみに今だに日本で雨傘運動のリーダーのように思われ必ずスポークスパーソンのように話を聞かれる、 アグネス・チョウやジョシュア・ウォンもさしたる影響力を持っていない。

 今回の旅で私が目にしたものは、古今東西のものを混淆させたスタイル、リベラルな弛緩と、物理的衝突を否まない緊張の両面性とそれらのベクトルの統合へと解消されない矛盾的共存(副次的矛盾)であり、それらに対する中国という新しい世界権力による暴圧である。
 しかしこれは弾圧というよりは迫害に近いのではないか。弾圧とは進歩的な社会を求める思想や運動に対するものであるが、ここには進歩への希求も思想もある訳ではない。この現行の世界の誰もなんだかよく分かっていないこの生(剥き出しの生)を迫害する権力の姿である。この権力はなぜにこの生を迫害するのか、 いかなる統治者なのか、そもそも何ものなのか。真相はわからないまま錯乱のうちに彼らは削ぎ取られた生そのものへの後退戦を戦っているのだ。

民不畏死、奈何以死懼之

もしも人民がいつでも死を恐れなくなれば、どうして死刑によっておどせようか。

                       老子

    (『老子』74章、蜂屋邦夫訳、岩波書店、2008年)


中国夢

                      習近平

 香港の壁に擲り書きされた古の言葉と、中華人民共和国の壁を飾るアメリカを中国に置き換えただけの隷属の言葉のせめぎ合いである。新たな生の形式がそこに生まれるのか。その答えはたぶん、私たちと新たな友人たちとの出会いの中にあるのだろう。

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