アルゴリズム的統治
NEZUMI
『幸福な監視国家・中国』はすでに高い評価を受けているが、多くの論者が紹介するとおり、統治の現在と未来をめぐる重要な考察を含んでいる。本書によれば中国の高度な監視社会が実現しているのは『1984』的なディストピアではなく、アルゴリズム的公共性による高度な統治なのだ。圏内にいるかぎり、人々には安全な生存が保障され、それは決して「民主」的でないということはない。これはハラリらが描く未来像とも一致し、日本を含む資本主義国家の未来をも先取りするものであり、つまるところランド=トランプが待望する社会とどれほども違わない。いや、そればかりではない。ガブリエル・マルクス程度のリベラルさえ、ここに包摂されうる。ここで描かれる中国こそはネオリベラリズムからスターリニズム、リベラリズム、リバアタニズムなどすべての路線の到達点、もしくは妥協点なのだ。そのとき、そこに浮上してくるのは著者たちがここで注目する功利主義である。。
われわれは香港蜂起に大きな注目を払ってきたが、それが何との闘いなのかを本書は教えてくれる。ここで賭けられているのはわれわれすべての「生」の形式である。