龍脈のピクニック


KID 

前回、私たちは10月中旬に香港を訪れた。そこで現地の友人と過ごすなかで、多くのことを聞き、学んだのであった。そして、私たちはそれに触発されて「香港から放たれた矢」、「鏡の国の大衆運動あるいは遷移する遊行」、「香港蜂起の教え」を執筆し、インタビュー記事である「蜂起の3ヶ月」を翻訳しもした。これらは、ブログにて公開している。それからまた3ヶ月が経過した。その間に、さまざまな出来事=事件が生じたのはご存知のとおりだろう。状況は刻々と変化し続けている。それを目撃するために、私たちは年が明けてからふたたび香港を訪れた。今回の記事は、以前の記事やインタビューを補完しつつ、拡張することを意図したものである。形式についてひとこと述べておけば、以下の記事はいわば「日記」として日時が刻印してあり、その日の出来事に触発されたノートが記してある。とはいえ、読み方は自由である。ひとまず目を通してみてほしい。





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3ヶ月ぶりに香港を訪れる。第一に気づいたのは、昨年の10に比べて落書きの数が減っていることだった。かつて中央分離帯を一杯にしていた落書きは、白いペンキで上塗りされていた。あるいは、繰りかえし踏まれたことによって霞んでしまった、路上の落書きが見えるだけだ。モンコックで香港の友人Nと合流する。近頃、体調がすぐれないらしい。夜通しずっと咳がとまらず眠れないそうだ。住居用の物件は家賃が高すぎて工業用の物件に住むしかないために、備えつけのエアコンの質が悪いことと、催涙ガスを浴びすぎたことを原因として挙げていた。

軽くお茶したのちに彼と別れてから、友人Cのスペースに宿泊しようと帰ると、彼の友人たちがパーティーを開いていた。彼らは、ベビーシッター、OL、美容師だと自己紹介してくれた。酔いがまわってくると、彼らは私たちに広東語を教えようとしてくる。発音は忘れてしまったが、五大要求、欠一不可、死黒警などの広東語だったと思う。蜂起に参加したいので香港へきた、と話すととても喜んでくれた。いまの状況からすれば当然のことだが、「ふつう」のひとも平気で警察に対する怒りを表明している。

Cがパーティーの途中で写真を見せてくれた。彼は毎晩、近所を周って写真を撮っているそうだ。いくつかの写真が目にとまる。滑稽な写真から、胸を打つような写真まで。彼が何度か口にしたのは、「この写真からはストーリーが見える」ということばだった。これが彼のひとつの価値基準なのだろう。Cのスペースには、多くの地域から、さまざまなストーリーをもった人間が訪れる。彼がゲストを心から歓待してくれることと、写真からかいま見えるストーリーを重視することは、ひとつのことなのだろう。



note.

※私たちは、これまでの思考と、いま起きている出来事とを互いにはかりあわせるべきときが来たと感じている。とはいえ、これは古典的な左翼の「理論と実践の統一」というくだらないお題目のためになされる作業ではない。むしろ、私たちが手もとにある武器を再発見するための作業であり、それを磨きあげるための作業である。あるいは、武器だと思っていたものが、ただのなまくらであったことを思いしるための作業でもある。こうした作業だけが、或る種の下品さをつねに伴わざるをえないルポルタージュにとってのエチカにかなうと考えている。

また、以下のnoteは、私たちにとっての友人であるあなたが、以下の武器庫からめいめいお気にいりの武器を手にとってもらうためのカタログでもある。このテクストがそれぞれの生の拡充に接続されることを願っている。ガラクタだったら捨ててもらって構わない。そうでなければ、これらの武器のあなた(たち)なりの使用法を私たちにも教えてほしい。私たちにとって、これ以上の喜びはない。



・私たちは、香港はもちろん地球上で起きている闘争と接続しようと試みてきた。HAPAX11号はもちろん、それ以前の号にもいくつかの翻訳が掲載してある。



・「都市」を私たちが考えるとき、ひとまず参照点となるのは、東京という特異なメトロポリスである。東京を含めた都市については以下のものを。

HAPAX2HAPAX「われわれはスラムの戦争をつくりだす」

     高祖岩三郎「逃散と共鳴り」、とりわけ「逃散とは何か?」の項。

     Takun!「経験的戦前映像論」

HAPAX5:反–都市連盟びわこ支部「都市を終わらせる:資本主義・文化・ミトコンドリア」

HAPAX12:山本さつき「ながれと淀み





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朝からCがモンコック市街を案内してくれた。日本でもよく知られていることだが、いまの香港では「黄色経済圏」という実験が行われている。今回の蜂起を支持する店舗、企業が「黄色経済圏」、親中国派のそれが「青色経済圏」と呼ばれている。蜂起に参加する学生はもちろん、蜂起を支持するひとびとは、専用のアプリで黄色経済圏の店を探し、そこを利用する。以前の報告で述べたとおり、香港という都市全体が蜂起を成立させているというひとつの証左であろう。たしかに、私たちが昼食をとったフードコートでは、黄色経済圏のレストランがとりわけ繁盛しているように見えた。(非常に美味しく安価だったので、理由はそれに限らないかもしれないが。)

14時からセントラルで大規模な集会が計画されていたために、昼食をとったのちに私たちはメトロへと向かった(メトロとバスが香港の主な交通手段である)。その日は日曜だったので、休みの移民労働者(多くがベビーシッターやハウスキーパーの女性である。)たちが街中で敷物を広げてピクニックをしていた。その数の多さに驚いていると、日本から同行した友人Wが「セントラルはもっと多いよ」と教えてくれた。それを聞いていたにもかかわらず、実際にセントラルで降りると、移民労働者たちの多さには驚かざるをえなかった。セントラルでは、駅の出口を出てすぐのところから移民労働者たちがピクニックを楽しんでいる。彼女らは、歩道橋や地下駐車場、地下通路などいたるところに敷物を広げて、ビールを飲みつつ、スナックをシェアして楽しんでいる。彼女らにとっては、これが週に一度の楽しみなのだろう。彼女らは、近くの百貨店に入ることはできない。警備員に追いだされるからだ。いくら安価とはいえ、香港の飲み屋に1日中いることはできない。みんなで集まれるような広い部屋に住んでいるわけもない。それゆえ、選ぶまでもなく、路上が彼女らの場所である。集会のために占有許可がとられた道路にも、彼女らは進出していた。大学生だろうか、若者がトラメガでスローガンを叫ぶ。ステッカーを求めて整然と並ぶ集会参加者がそれに応じる。日本でもよく見られるような光景を想像してもらえればいい。その横で、彼女らはスマホのスピーカーから音楽を流し、腰をふりながら踊っている。笑い声が道に響く。その日のセントラルで聞こえた笑い声は、彼女らのものだけだった。集会でのスピーチ(ほとんどが広東語だったのでわからなかったとはいえ)や、そこで聴くことができた高名なオペラ歌手の歌よりも、彼女らの笑い声がもっとも印象的であった。

集会については、なにも話すことはない。正直言って、Nに体調難をおしてまで連れて行ってもらって悪かったと思う。彼はひとしきり集会をくさしたあと、それにも飽きて眠っていた。正直いうと、私も途中から寝てしまった。集会のどうしようもなさは世界中どこも一緒である。集会のその後の顛末については、かの周庭氏のTwitterを見ていただければ十分である。今回の集会は、たしかに許可がおりていたものの、その目的は集会後の中国共産党の香港本部への無許可デモである。集会にひとが集まれば、それを解散したあと、デモが自然に発生するに違いない。それを水路づけてデモに仕立てあげる、というのが活動家の戦略であった。しかし、警察もおそらくそのことを知っていたのだろう。集会は突如として中止が宣告され、その数分後には違法集会として催涙ガスが撃ちこまれることとなった。集会がいくらどうしようもないものだったとしても、警察の横暴は絶対に許されないのは当たり前である。

集会では、星条旗が大量にはためいている(インタビューを参照のこと)のはもちろん、イギリス国旗もはためいている。率直に言えば、ぎょっとした。中国という統治者に否を突きつける集会において、かつての統治者の旗がたなびいている……。集会でオペラ歌手が歌い、その場にいるひとたちはスマホをいじったり、寝はじめる。その歌に聴きいっていたのは、集会を見下ろす高層ビルのバルコニーでワインを楽しんでいた白人たちだけだった。今回の旅で幾度か「97年」の記憶を耳にした。97年、香港の統治がイギリスから中国に「返還」される。いくつかのことが思いだされているのかもしれない。イギリスの支配が終わる。「独立」が果たされたはずだった。20年がたって、なぜまた独立が叫ばれるようなことになっているのか。こんなはずではなかった。蜂起のさなか、みずからのありえた姿が幻視される。97年の記憶がいまと重なる。なつかしさのなかで、今度こそ統治そのものからの離脱が浮上してくるだろう。

集会を途中で抜けだした私たちは、公園の外に出た。そこにはすでに多くの人々が路上をほんとうの意味で占拠していた。繰りかえすが、許可をとったのは集会だけで、デモは無許可である。しばらくすると、デモは進みだした。しかし、5分ほど歩いたところだろうか、先頭の方が騒がしい。みなパニックになっているようだ。私たちの前の人並みが消えて、先頭に出る。路肩からブラックブロックが、おそらくは「こちらに来い」と必死で私たちに呼びかけている。しかし、Nはなぜか逃げようとしない。なんでみんなこんなにパニックになってるのか分からない」と呟きながら様子を見にいく。すると、放水車のような車両と、大量の警察車両がこちらに向かってきているのが見える。警察官は、戦争映画に出てくるような重装備のようである。しかし、その距離はかなり遠く、両者が出会うまでにはしばらく時間がかかるように見える。Nがその場から動かないので、私たちも仕方なくそこに留まる。ブラックブロックたちはすでに逃亡することができていた。しかし、デモの群れは完全にちりぢりに分断されてしまった。それゆえ、その後「路上では」目立った衝突を目にすることはなかった。そのとき催涙ガスが集会が行われていた公園から流れてきていたのだろう、鼻が刺すように痛くなった。その日の夜、信じられないほど黒い鼻糞が出た。日本の全共闘世代が、近頃体調を崩しはじめているのも偶然ではないだろう。その後、やることのなくなった私たちもメトロへと向かった。その道すがら、移民労働者たちがピクニックを続けているのが見えた。彼女らにもおそらく催涙ガスは流れてきたのだろうし、デモ隊がパニックに陥っていることも見えているのだろう。しかし彼女らは、スナックを食べ、音楽をかけ、笑い続けていた。デモ隊がなすすべなく「敗北」したとしても、ピクニックは続く。

その道のプロであるブラックブロックをN無視する意味がわからなかったが、その理由は後にCの話から明らかとなった。帰宅後、Cに「今日の集会はどうだった?」と尋ねられた。Wは、率直に「拍子抜けだった」と答える。私も同意する。ブラックブロックはすぐに分断され、メトロへと駆けこむだけだった。文句を言うつもりなどさらさらないものの、正直、もう少し暴れるつもりでいたのだ。これを聞いてCは、手慣れたブラックブロックは捕まってしまったのが理由かもしれないと教えてくれた。前回もブラックブロックの若さを聞いておどろいたものの、今回はそれが顕著だったように思う。はっきり言って中学にあがりたての「子ども」の目と体格のブラックブロックが、丈の短いFILAのジャージに身を包んで走っていく。香港で有名なステッカーのひとつが、中学生のヒューマンチェーンをモチーフにしたものである。ふたりのあいだには、ペンが握られている。手を繋ぐのが恥ずかしいのだろう。そのような世代が主力なのだ。

Cはまた恒例の写真撮影に出かけていったのだが、何やら外が騒がしい。Cは帰ってきて、近くで衝突があったことを教えてくれた。Wが支度を始める。寝間着に着替えていた私も付いていくことにした。現地にいってみると、もう野次馬、救急隊、記者、そして機動隊しかいない。それを見ていても仕方がないので、私たちは近くを見て回ることにした。衝突のあった大通りからいっぽん中に入ると、そこで怪我をした記者が治療を受けている。地面には血をぬぐったガーゼが散乱している。ブラックブロックはすでに姿を消していたが、ゴミがあたりに散乱している。おそらく、大通りに巨大なゴミ箱を投げこんで、交通を遮断しようと試みたのだろう。あたりを散歩していると、大通り沿いに人だかりができていた。ブラックブロックの姿も見える。私たちもそこに行き、様子を見ていた。ぼちぼちとひともひきはじめ、そろそろ帰るかと思った矢先、中年の男性が突然木の板を担いであらわれ、私たちの横を通り、それを突然大通りに投げ捨てた。彼はそのあと、すぐに人混みに紛れていった。それから10秒も立たないうちに、鋭い笛の音が響く。横に立っていたブラックブロックが、「逃げろ!」と叫ぶ。それを聞いて咄嗟に走り出したものの、通行人のふりをしてやり過ごすことを決めて止まる。私たちの横を、機動隊と記者の群れが駆け抜けていく。機動隊が過ぎたあと、私たちも小走りでその方向へ向かう。すると、明らかに関係のない女性が壁に押し付けられている。ブラックブロックの若者も捕まったようだ。通りすがりのおじさんたちが「死黒警」と口々に叫ぶ。その叫び声が大きくなり始めたころ、機動隊が青い旗を掲げる。「可武力」。市民はちりぢりになる。警察によって、多くのひとがもっていかれたように見える。そして、また街は静まり返る。近くで店を営むひとが、カートに水とキンパをのせて道に出てくる。彼は、その場にいた若者たちにそれを配る。彼には私たちも学生に見えたのだろう。キンパをもっていけと言ってくれる。そのままぶらぶら歩いていると、「日本人か」と話しかけられる。そうだ、と答えると、彼は「私は日本が好きだ」と話してくる。すこしことばを交わしたあと、彼は去っていったが、しばらくしてまた私たちのところに戻ってくる。そして、「君たちは学生を支持しているのか?」と尋ねてくる。もちろんだ、と答えると満面の笑みで頷き、ふたことみこと言ったあと、中国の悪口を言って、こんどはほんとうに帰っていった。

 そのあと、また「日本人か?」と話しかけられる。日本からきた民間のジャーナリストだ。理工大学に入ってから彼が発信していたキャスを見ていたので、その旨を伝えた。「捕まらないようにね」などと話していると、また機動隊が走っていくのがみえる。また別の箇所でブラックブロックが道にゴミ箱をぶちまけたらしい。彼と一緒に走っていく。警察は、やはり道と交通にはうるさい。この騒ぎは1:30すぎまで続いたようだが、疲れた私は友人と帰路についた。



note.

・アトミズムとポリス哲学の対立という観点から、この日の集会を思考することができるかもしれない。なぜ集会は弾圧されるほかなかったのか、それは古代のコスモポリタンから学ぶことができるかもしれない。

HAPAX1HAPAX「イカタ蜂起のための断章と注釈」

HAPAX2HAPAX「われわれはスラムの戦争をつくりだす」、とりわけ「ゾミア」の項。



・道に関して私たちは思考を重ねてきた。たとえば、モンコックのブラックブロックによるこの晩の試みを「火墜」の実験として捉えることもできるだろう。

HAPAX7:混世博戯党「火墜論」

HAPAX12:混世博戯党「幼年期への退却」



・ピクニックについては、おそらく多くのことがまだ思考されねばならない。率直に言えば、私たちの思考はその端緒を見出したにすぎない。端的に「マイナー」性を考えなおすこと、人民や市民といった基本的なカテゴリーを考えなおすことのうちに、手がかりがあるのかもしれない。

HAPAX2:高祖岩三郎「逃散と共鳴り」、とりわけ「ここでちょっと立ち止まろう!」の項を参照。

HAPAX7HAPAX「人民たちの反政治」

HAPAX10:白石嘉治「ニーチェの喃語を聴きとる」

もちろんそのまま応用することはできないとはいえ、私たちが暮らす日本から思考をはじめる手がかりとしては、以下のものを参照のこと。

HAPAX2:友常勉「流動的–下層–労働者」





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この日は、Nの家の近くでおいしい飲茶を食べにいくことになっていた。彼の最寄駅へと向かう。その駅の近くには中学があったのだろう。駅に制服をきた子どもらが多くいる。前日のことを思い出し、愕然とする。制服を着ていると、日本の学生となにも変わらない子どものように見えた。逆に言えば、ほんとうは日本の学生だっていつでもブラックブロックになるのかもしれない。日本に帰国後、件の民間ジャーナリストのツイッターで、小学生にしか見えない少年少女が逮捕された映像をみた。機動隊に囲まれながらも、顔をあげて堂々と歩いている姿を、忘れることはできない。

飲茶を食べた後、私は友人と別れてひとりCの家に戻る。掃除してぼーっとしていると、Cがかえってくる。「夕飯は食べたか?」と聞かれたので、まだだと答えると、彼は自分が夕飯を食べてきたにも関わらず再度夕飯に連れ出してくれた。夕飯を食べながら、Cは、構想中の映画の話をしてくれた。アジア全体を舞台にした三部作である。とりわけ重要な位置を占めるのが、香港と日本であった。「日本を舞台にした三部は、金がかかりそうだからだいぶ先になりそうだね」と話していた。夕食後、彼は写真を撮りに街へと繰り出していった。明日は彼の友人——Cの家に住んでいる亀の飼い主——が朝からやってくるという。



note.

・とはいえ、「子ども」を物神化することはできない。子どもが小さい大人でしかないこと、大人が大きな子どもにすぎないことをわきまえておく必要がある。そのうえでなお「子どもになること」については以下を参照のこと。

HAPAX2:「ゾミア外伝:鉄牛と及時雨の巻」、とりわけ「ぶんぶん、武器のエコロジー」の項。





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最終日、Cの友人Tが訪ねてきたので目を覚ます。Tは日本語で「おはようございます」と挨拶してくれる。返事した後、二度寝してしまったのだが、ふたたび起きるとCも二度寝しており、Tがひとりバルコニーでタバコを吸っていた。私もバルコニーに向かうと、紋切り型の会話をすることになった。どこからきたの、なにしにきたの、いつきたの、いつ帰るの、日本ではなにしてるの? 会話するなかで、1974年生まれの彼は、私が香港の蜂起に共感していることを知り、非常に饒舌に話し始めた。「イギリスは金が儲かればなんでもよかった。1997年まではその意味で自由だった。中国は、しかし支配しようとする。コントロール、コントロール、コントロール。」そして、おもむろにスマホを取りだして、地図アプリを見せてくれる。見せられたのは、香港行政府の建物である。その形を、タバコの箱とライターで再現する。それを揺さぶりながら「不安定だろ?」と言う。そして、彼はスマホに指で字を打ち込んでいく。「龍」、「脈」。「知ってるか?」と聞かれる。私は「聞いたことはある。漫画に出てきた」と答える。ドライバーとして日々香港の道路を走りまわっている彼はこう続けた。「こんな不安定な建物で龍脈を支配することはできない」。

Tがしてくれた話をWに共有すると、Wは興味深い話を教えてくれた。今回の蜂起を弾圧するにあたって、香港警察がひとを殺している「疑い」が浮上している。もちろんこれは、疑いというより、香港どころか日本においてもツイッターで共有されているような公然の事実である。しかし、あくまでこれを警察はみとめようとしない。行方不明として処理しようとする。事実をめぐる真理を確定するために、ひとびとが頼ったのは占いである。有名な占い師は、霊界と交信をはじめる。その結果、霊界に行方不明者たちが存在していることが判明する。霊界にいるならば、すでにかれらが死んでいることになる。こうして、かれらが殺されていることが「確定」したのである。政治と占いが交差する。もともと占いこそが政治そのものであった。そしていま、統治に抗するものとして、占いが現に再浮上している。イラン革命の折、即座にイランへと向かった哲学者のことが思いだされる。

CT4人で、最後のランチを食べに行く。そこも黄色経済圏の店であり、壁がグラフィティで彩られていた。その店を後にして、空港行きのバスに乗り込む前にCが言う、「マスクを買った方がいい。新年(春節)で空港は混んでいるから」。武漢で発生したコロナウイルスのことだ。習近平は「断固として蔓延を抑えこめ」と命じたという。しかし、この命令など無視して、ウイルスはヒトからヒトへと、ときには動物を媒介しつつ感染してゆくだろう。同じように、香港の蜂起を抑えこむことはできない。同時に忘れてはならないのが、催涙ガスもデモもまた、ピクニックを抑えこむことはできないということである。



note.

Tは「龍脈」という概念で、私たちが「自然」と名ざしてきたものを語りだしている。そして、私たちの見たピクニックは、龍脈のピクチャー(picture)なのだろう。もちろん香港の友人たちは、すでにこのピクニックに目をむけている。HAPAX12号「蜂起の3ヶ月」をぜひ読んでほしい。この記事は、ブログにも転載してある。

HAPAX9:『自然』

とりわけ、白石嘉治+ウルトラ・プルースト「自然はピクチャーである」

     無回転R求道者「装置、あるいは文明と訣別するために:「直耕」の思想家・安藤昌益」



・現在進行形で猛威を振るいつづけているコロナウイルスは、人間たちが慌てふためく「気候危機」をあざ笑うような、「気象」からの解答である。コロナウイルスは、CX500便によって香港から日本にも到来した。蜂起がともに到来せんことを。

HAPAX9:鼠研究会「「世界政治」としてのペスト」





私たちの思考は、ここから再び始まる。「何」の問いから「いかにして」の問いのほうへ。

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