Become Unreasonabl /Commune

RK


【解題】
 ここに訳出したのは、現在カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校(UCSC)で展開されているCOLA運動の現状と運動が生まれるまでの過程を簡潔にまとめたCommune名義によるレポートである。Cost-of-living adjustmentCOLA)、つまり物価上昇に見合う生活費の支給(生活費調整)を要求する大学院生中心のこの闘争が生起したのは、大学がティーチング・アシスタント(TA)の大学院生に支払う賃金では、税金と賃貸料を差し引いたとき、手元になけなしの額しか残らないという経済的な逼迫が直接的な背景にある。具体的にいえば、カリフォルニア大学(UC)は全キャンパス同一で月額2,434ドルを賃金として支払っているが、ここに税金がかかることによって年間で19,000ドル、すなわち実質的には9ヶ月分の賃金しか手元に残らない。さらにここに追い打ちをかけるようにして賃貸料が重なる。サンタ・クルーズ地域の賃貸料は年15%の増加率で高騰し続けており、賃貸規制のための法案も2018年に否決されている。賃金の30%以上を賃貸に充てざるをえない状況を「rent burden」と表現するが、多くの学生たちは賃金の50%から70%を賃貸料にとられている。そして、学生たちの住居の家主自体が大学側である以上、記事にあるように大学は学生たちにとっての文字通りの地主landlordなのである。この点でCOLA運動とはまさしく居住闘争の一環なのである。
 このような抜き差しならない状況に加えて、既存の大学院生組合は、UCSC83%の院生が反対したにもかかわらず、大学当局との交渉で2018年に年間わずか3%の賃上げ要求に終始した挙句、ストライキをしない協約を結ぶにいたった。ここで組合に見切りをつけたUCSCの大学院生らによる独自的な闘争の組織化が、山猫ストライキへつながるのである。
 いまやこの闘争は、COLAだけにとどまらず、授業料や大学警察、レイシズムの廃絶、そして生のレント化の拒否を訴えている。そしてこの闘争の波は、UCSC以外のUC中のキャンパスに拡がりつづけている。
 だが以下のレポートが書かれたのは228日であり、まだアメリカにコロナのパンデミック状態は出現していなかった。そしていま闘争は、コロナの拡大によって新たな局面を迎えている。大学当局は、以前から反対にあっていたにもかかわらず、コロナ対策という名目のもとにオンライン授業の実施を発表した。オンライン授業に関しては、授業の透明性が保証されない、学生との意思疎通が遮断されるという問題に加えて、授業に対するTAの参加・関与を削減しようとする当局の目論見がうかがえる。授業を下支えしているTAの労働を排除することで、その力を縮減させようとする政治的意図を読み取り、大学院生たちはZoomなどを使ってオンライン上でゼネラル・アッセンブリーを開くなどしながら、デジタル・ピケットを呼び掛けている。
 また、コロナのパンデミックに乗じて非正規労働者の大規模な削減が起こりつつあるなか、闘争はそうした人びとや運動との連帯を深めつつある。同じカリフォルニアでは、家賃の支払いを拒否するレントストライキの抵抗が起こっている。これもまたUCSC の学生たちが置かれたのと同様の家賃の高騰(ジェントリフィケーション)とパンデミックによる複合的な苦境に抵抗しようとする動きなのだ(以下の記事を参照。https://crimethinc.com/2020/03/19/on-rent-strike-against-gentrification-and-the-pandemic-an-interview-with-residents-of-station-40-in-san-francisco)。また、各国の外出規制は持ち家のない路上生活者に対する迫害と階級的な殲滅を引き起こそうとしているが、ロサンゼルスでは路上生活者たちなどによるスクウォットがすでに現れてもいる(以下の記事を参照。https://www.latimes.com/homeless-housing/story/2020-03-18/homeless-occupy-more-vacant-homes-coronavirus-pandemic-los-angeles)。こうしてみると、UCSCのストライキは単なる大学空間に限定された闘いではなく、起きつづけてきたジェントリフィケーションと現在のパンデミックによる厳戒状態が折り重なるなかでの都市闘争の一部なのである。
ここからいかなる相互扶助の実践が編みだされるのか。そして、そこから私たちは何を学びうるのか。今後もこの闘争が示す動きを注視していく必要がある。


Become Unreasonable
                                                                       2020.2.28

UCSCの山猫ストは引き返さない

以下は、COLA運動、COLA4ALLUCSC人民連合の見解をまとめたものである。これらのグループはUCSCで大学院生への生活費調整をもとめて闘っている。

 COLA運動は、労働組合の組織化の過程から生まれてきたものだ。UCSCの大学院生の83%以上が反対票を投じたにもかかわらず、UAW2865の幹部は2018contractを強行採決した。だがこの2018contractの強制採決に対する広範な不満が、201912UCSCの大学院生による採点業務に対する山猫ストで頂点に達した。COLA4ALLは、COLA運動と協調するかたちでストライキと同時に生まれた自律的な学生労働者による直接行動グループである。このグループの目的はUCの大学としてのシステムを再想像し、脱植民地化することである。人民連合はさまざまな学部生グループ(黒人学生ユニオン、アンドク・コレクティブ、マウナ・ケア・プロテクターズなど)によって構成されており、この集団はCOLAを勝ちとるだけでなく、授業料の撤廃や大学警察の廃絶から白人至上主義的かつ資本主義的大学の終結にいたるまでの「COLA以上のものを」要求している。
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大学院生にとって夏は、「遅れをとりもどすこと」ことに集中しなければならない季節である。なぜなら、一年の残り時間ですでに遅れをとっているからだ――大学院生は、自分たちの期末の課題や博士論文、学術論文を執筆する傍ら、学期ごとに数百もの学生の提出課題を採点しなければいけない。夏はまた、カリフォルニア大学中のティーチング・アシスタント(TA)がTA業務の対価として受け取る9ヶ月分の給料から生活費を搾りだしてしのがなければならない季節だ。これはTA以外の仕事をしたり、時にローンさえも組まなければならないことを意味している。昨年の夏、大学がいうところの「標準修業期間」との不可能なゲームに取り組むなかで、わたしたちの多くは対話を開始した。

一部の仲間はすでにこのプロセスを始めており、組合(UAW)や大学院生協議会(GSA)のなかで跳ねのけられた議論を取りあげていった。多くの会話はわたしたちがかかえる大学の労働者としての不満を話題としたが、地域の賃貸規制キャンペーンに対する不満についても話しあっていった。わたしたちは、すぐにある重要なことを理解した。すなわち、わたしたちにとって大学(UC)とは地主なのだということ。そこから「Cost-of-living adjustment」という言葉――わたしたちが要求しているCOLA――が出てきたのだ。

多くの点で、COLAを要求するのはまったくもって理にかなっているようにおもえた。わたしたちは、家賃と食費を払うに十分な収入以上のものは求めていなかった。仲間のほとんどが賃金の50%から60%、時には70%を住宅ローンに充てていることの方が、よほど理不尽なように思えた。家賃の負担を和らげるのに必要な賃上げ金額を計算し、他の大学院生や教授陣にも支持を求め始めたが、その要求は理不尽だと何度もいわれた。その要求は、実現不可能だと。

それでもわたしたちは訴えつづけた。

11月の初旬にわたしたちは集会を開いたが、たくさんの人が訪れてくれた。そのとき、わたしたちは孤独ではないのだということをはじめて感じられた。同じ月、すでにストライキを実施していたAFSCMEUCSC熟練労働者組合)のメンバーとなり、そこに自分たちの闘争を結びあわせるよう動きはじめた。

多くの仲間にとって、12月がターニングポイントになった。予定されていた街宣は天候の関係で中止になったので、代わりにわたしたちはメールを、本当にたくさんのメールを送った。当局が脅迫をまじえた対応をしてきたときには、鬱憤が高まるなか怒りのメールを大量に送った。それからわたしたちはゼネラル・アッセンブリーを開いたが、その場で数百人の院生たちが票を投じ、秋学期の成績業務を行わないことに決めた。わたしたちはこの瞬間を忘れることはないだろう。みんなの手が一斉にあがったその瞬間を。

ゼネラル・アッセンブリーの数日後、仲間のうち何人かが、UCの人びとにも自分たちの経験を共有するための集まりを図書館で開いた。わたしたちは、そこに来てくれた人たちに対して、自分たちがどれくらい働いているのか、自分自身やお互いのことを大切にできているかどうかを考えてもらった。考えないことは、わたしたちが普段から習得してきた生き延びるための方法だった。だが、そのことについて話し合うことで、沈黙よりもむしろ多大にエンパワーされることに気づいた。わたしたちはUCSCで生きながらえていくために妥協してきたことすべてを理解するようになった。

結局、大学の運営陣がまったく理解を示さなかったことについては、悲しくて仕方がない。わたしたちはここで人生をかけて働いてきたのに、いまは騙された気分だ。わたしたちの多くは、ここにいれば自分たちの未来を想像できると思ったからこそ、なんとかしてUCSCに来たのだ。そして、この大学がわたしたちの夢を悪夢に変えてしまうことなど望んではいなかった。

もはやストライキしか残された手段はなかった。だが、ストライキに他の種類の行動が伴わなければ、官僚主義的な闘争に陥ってしまい、十中八九うまくいかないということを理解した。そうするうちにわたしたちは、ひとりひとりが独自の知恵と力をもっているということに気づいた。そしてこの集合的な力が運動を成長させてつづけている。わたしたちのなかには、自分の魔法に気づき、運動は各自の魔法を使って協力しあうことと同じなのだという想像をめぐらすひともいるのである。

昨年の12月、わたしたちの多くが伝統的な組織化の方法、とりわけ組合組織が、自分たちの求めているアクティヴィズムを代表していないということをはっきりと自覚するようになった。わたしたちはより実質的で具体的な変化が起こるのを望んだ。仲間の一部は、キャンパス内の労働者たちとのつながりをいかし、食堂を奪取して、無料の食事を必要とする腹をすかせたひとびとに声をかけることした。キャンパスには十分に食事ができない学生がたくさんおり、そうした学生たちの多くが顔を出してくれた。その学生たちは、その企画をやるたびに参加しつづけてくれている。そして、食堂での企画のたびにわたしたちはなぜともに闘うのかを思い出すのである。互いを思いやるため、というその理由を。

だから、わたしたちは訴えつづけた。

冬休みはわたしたちの闘争を弱めるどころか強くした。12月の後半、多くの仲間が集まって戦略を練りつづけた。冬学期の開始日には、キャンパス中に横断幕を掲げた。当初はためらいをみせていた大学院生がストライキのことを見直すようになりつつあるなかで、わたしたちは数週間後にせまったティーチング・ストライキを貫徹するための下地を作り始めた。投票、集会、ゼネラル・アッセンブリーを経るにつれて、可能だという感覚がわたしたちのなかで育っていった。

210日は、ティーチング・ストライキの始まりを告げる日だった。大学院生の間で交わされた一連の議論が、一年も経たないうちに、学部生や技能労働者、職員、そして教員を含めた数千人からなるキャンパス規模の運動になったのである。相互の対話がストライキを可能にしたのだ――互いの闘争についてはつねに聴きあい、他方で権威的にストライキが実現可能かどうかを論じてくる人間のことは無視した。

ストライキでは毎日数百人がキャンパスの正門に集まり、大学業務を遅延させたり、中断させたりしている。最初の週には17人の逮捕者が出たが、UC側は州全体からかき集めた機動隊を配備するために一日あたり30万ドルを支払っている。

いま、ストライキは〔この記事の時点で〕3週間目に突入している。わたしたちは大学当局から妨害を受けている。警察による逮捕や暴行が横行している。さまざまなやり方で、大学側はわたしたちを孤立させ、互いを対立させようとしている。わたしたちはそれでも前に向かってきた。学術評議会の決議、運動を支持しUCSCダイバーシティ賞を返上した教員、各地からの連帯声明など、闘争が共有される数多くの驚くべき瞬間があった。わたしたちはキャンパスを根拠地にしてピケットを張り、デモや集会をおこない、封鎖を実行し、コンサートを共に開いている。そこには毎日対話をしたり、集会や討論会を開いたり、食事やコーヒーをつくったり、ダンスをする友がいるのだ。こうして、わたしたちは毎日自分たちの教育を取り戻すために闘っている。

この運動がどこに向かうのかはわからない。わたしたちの多くはそのうち解雇されるだろうとおもっている。だが、もう引き返しはしない――大学側にとってもっとも危険なこの状態をわたしたちに用意したのは当局なのだ。

わたしたちは、いままでのようには動かない。
わたしたちは、この搾取を「教育」と呼びあらわすことを拒否する。
わたしたちは、自分たちの生活を借金漬けにすべきではない。
そして、もし、わたしたちが生き延びようとすることが法外な要求だとみなされるなら――わたしたちは法外なものになろう。

もし大学側がもっとスマートであれば、わたしたちととっくに和解していただろう。しかし、いまやほぼすべてのカリフォルニア大学のキャンパスにCOLAの運動が存在している。UCデイヴィスがわたしたちとともにストライキに立ち上がっている。UCサンタ・バーバラとUCバークレーもわたしたちとともにストライキに立ち上がっている。これはもう止まらないだろう。運動はUCLAで、UC サン・ディエゴで、UCマーセドで、UC リバーサイドで、UC アーヴァインで広がっている。これは始まりに過ぎない。

なにかが起こりつつある。そして、わかっているのは、わたしたちにはそれを見極める責任を負う必要があるということだ。話すこと、集まること、互いを思いやること、そしてこのストライキをひろげることをつづけなければいけない。



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