サパティスタ・エンクエントロ 2024 crimethinc

 小田巻郁哉訳

サパティスタ解体の報は大きな衝撃を与えた。これに関する貴重なレポートとしてcrimethinc2024年1月)に掲載されたテクストを訳出した。この後、ILL WILLに掲載されたジェローム・バシェによる注目すべきサパティスタ論「サパティスタ・オートノミー:脱構成の実験?」も掲載する予定である。なおこれらは現在刊行準備中の「HAPAX」2期2号に収録される。

 


 

2023年の1230日から明くる年、24年の12日にかけて4日間、メキシコ、チアパス州のあるカラコルにてサパティスタたちは1994年の蜂起の30周年を記念し、祭りを以下のようなスケジュールで開催した。

 

1230日。サパティスタの青年、子供たちによる文化祭。演劇、歌、踊り、詩。午後と夕方にダンス。31日も同じ。

 

11日。午前12時、サパティスタたちによる演説。午後と夕方、サパティスタコミュニティへの参加。2日も同じ。



このテキストは、一時的に立ち上げられた「Weelaunee Solidarity Collective」のメンバーたちによって、この越年会合の報告書として書かれた。「Weelaunee」とは、アメリカはジョージア州アトランタの市街地からさほど遠くない南に位置する森の名前である。そのWeelauneeの森は訓練所付きの警察署や映画製作所の建設予定地となっており、これをめぐってジョージ・フロイド蜂起以後として多種の活動家たちによる環境保護、建設反対行動、ひいては反警察や警察の武装化反対(これに対抗し警察は「非武装」を謳い反応している)が行われ、広く「ストップ・コップ・シティ・ムーブメント」と呼ばれている。Weelauneeの森で占拠をしていた際に警察に撃たれて殺された若者、トルトギータがサパティスタのことをよく語っていたこともあり(このテキストはトルトギータの命日に発表された)、自らの闘争とサパティスタの闘争が共に局地を超えたものであるとし、彼らはこの会合に参加した。以下は、この報告書の概要である。




オートノミー内の統治体の解体

202311月、サパティスタたちはオートノミー内の統治が機能しなくなったことから統治体を一度、根本から解体すると宣言した。そこで挙げられた要因は、チアパス州で蔓延する「巨大な嵐」のような麻薬問題によって、統治が「悪い統治」になったことだった。グアテマラ国境に位置するチアパス州は麻薬取引の温床であり、その背後にはカルテル組織、国家、土地を保有する富裕層の癒着がある。もともと、サパティスタが武装蜂起をしオートノミーを宣言した頃、主に女性のEZLNが主導となりアルコールと麻薬の禁止を進めた。現在、カルテルの麻薬の誘惑はサパティスタの若年層に主に及んでおり、彼らには、サパティスタの生の形式と対立するような富と名声の人生が差し出されている。この対立に応じた新たな統治の構造の詳細はこのテキストでは触れられていない、あるいは公に明らかにされていない。

 

武装とオートノミー

Weelaunee Solidarity Collectiveはこの会合中にあった一人の70代の男との会話に心を打たれた。94年の蜂起以前、サパティスタたちは秘密裏に運動していた。当時サパティスタたちが「一軒一軒ノックして周りサパティスタにならないかと組織化をしていた」とき、その老人はサパティスタに入った。彼は既婚で子供も六人いたけれども、彼以外誰もサパティスタになりたがらず、親戚はみんな代議制支持者だった。このようなサパティスタではない家族たちとの分離はよくあることだという。コレクティブが「けれどもこれまでサパティスタに関わってきて今は幸せですか」と聞くと、「とても悲しい」とその老人は答えた。彼は有名なサパティスタのオーガナイザーであるため街に出れない——彼の秘密裏の生活はまだ終わっていない。モイセス副司令官が演説でよく言う、「我々はかつて孤独だったが、今も孤独である」という言葉もまたこの老人の言葉と重なる。94年、サパティスタはサパティスタでないものたちに蜂起を呼びかけたが、誰も参加しなかった。その後も国内外問わず支援や連帯を多々受けたが、資本主義を本当に打倒するために共に武装し立ち上がる人は誰もいなかった。かくも人々を惹きつける国家から逸脱するオートノミーが生み出されたのは、彼らが追いやられた状況でなおも最善を尽くしたからだった。これは、変化する状況に対応しながら戦略的にダイナミックに、かつ目標や信念を見失うことなく思考することとは一体いかなるものであるのか、その一つのケースを提示している。

 

 

サパティスタたちの組織化の方法

数十年の苦難を経てきたサパティスタの組織化の方法は次第にシンプルなものになってきている。「気高さある共的な生」に必要な基本要素の土地、食料、教育、公正性への機会を新たな人々に提供することで、「一歩一歩、ゆっくりとしかし前進しながら」組織化を進める。それらは、資本や国家のシステムが提供する生活に必要なもの——土地、医療、食料—の実現可能的な代替物でもある。土地は94年の蜂起で獲得したもので、医療は各カラコルにあり、診療は無料、処方箋のみが有料、かつサパティスタでない者たちにも開かれている。これを受けてWeelaunee Solidarity Collectiveは、「我々には何が提供できるのか」、どんな生の形式を提供できるのかと問い、「もしもある一つの闘争が、友情や文化イベントといった孤独や疎外感を一時的に癒すカンフル剤だけしか提供できないのなら、その闘争は他のカルチャーと同じ役割を背負い競い合っているにすぎない」と言う。住む場所、食料、医療を得ること自体がアメリカでリアリティのある「闘争」になっていることから、これらを一つでも提供することがWeelauneeのオキュパイに必要だったのかもしれないと振り返る。四方八方から攻撃される森の中の空間を保つことは戦略的デメリットであり、しかも最悪の場合、局地を超えて発生するような運動拡大の阻害となることもあり得る。彼らにとって、森はすでに失われたが、次にいかに共的な場所を作るかが目下の問題である。あらゆる方向から多種の力に押したり引かれたりする性質を持つ闘争の場では、この「いかに」は矛盾に満ちたものに必然的になる。サパティスタたちは車に乗るしコーラも飲むし、スマホでSNSも見る、市場の影響から完全に解放されてるわけではない。オートノミーはいかに不純でないかを競うものではない。オートノミーとは「継続する実践であり、まさに今はじまる、資本主義から逸れ、分けあった運命の共同制作者たちとなる」ことを意味する


The 2024 Zapatista Encuentro

A Report-back with Footage of a Play about the Movement to Stop Cop City

20240118 

https://fr.crimethinc.com/2024/01/18/the-2024-zapatista-encuentro-report-back-and-footage

 

 

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