「人間の拒否」のための終わりなき革命   ぺぺ長谷川・神長恒一『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』

NEZUMI

 

だめ連の結成は1992年であり、サパティスタがメキシコで蜂起したのとほぼ同時期である。サパティスタは世界革命を総括した反司法的なコミューンであったが、それと同じようだめ連はこの国の新左翼運動を総括した偉大な実験にして、自律的で反権威主義的なコミューンでもあった。だめ連の近傍にいた究極Q太郎はその少し前に「怠け共産党脱力派」を名乗っていたという(「政治性と主観性/運動することと詩を書くこと」『子午線』6号)。だめ、怠け、脱力への偏愛にはバートルビー的なものが、つまり「脱構成」的なものがある。だめ連はバートルビー的な革命(石川義正)を実践してきたのである。

だめ連は「交流・トーク・イベント・諸活動路線」を維持してきた「革命団体」(本書)であるが、その核心になるのは「交流」であり、そこでの焦点は「だめな人問題」「困った人問題」である。多くの左派が回避しようとしてきた「困った人」とのつきあいをぺぺ長谷川はよろこんで受け入れたという。この姿勢は「ケア」的という他はなく、「ケア」がかくも重視されるはるか以前からだめ連はそれを「人間の条件」にしてきたのだ。

「意志も意図もなしに生と死を共有して存続し、消滅することがケアの根源である」。近藤和敬『人類史の哲学』(月曜社)は生の根底にあるのは自律でも他律でもない「異律」=「巻き込み/巻き込まれ」関係であるとしている。近藤によればこのケア的な相互行為こそが生とよばれる営みであり、それを捕獲するために「社会」が、そして労働があるにすぎない。2000年前後、だめ連だけでなく、その周辺もまたアナキズムや粉川哲夫らの影響を受けながら、「巻き込み/巻き込まれ」るような運動を展開していた。先の究極のインタビューでも語られていたように、この頃、多くの活動家が障害者介助にかかわっていたこともここに関わるだろう。

「だめな人」「困った人」とは「人間」であることを病んだ者のことである。だめ連と同時代にティクーンはこの「症例」を「ヒューマンストライキ」と呼んだ。だめ連たちがアウトノミア的な「労働の拒否」の実践であることは当事者たちに自覚されてきたが、「ケア」的な「交流」によって、すなわち「意志も意図もなしに生と死を共有して存続し、消滅すること」はそれ以上に「人間の拒否」であった。イ・オッラによれば「共同体とは終わりのない治療」であり、「神との神的なものとの、人間との、非人間との関係」なのである(「パルチザンの新たな形象」『HAPAX』Ⅱ-1号)。だめ連はこのような「共同体」を潜在させていたのであり、ぺぺ長谷川がガンを患いながら近代的な治療を拒んで死に赴いたことはこのことと無縁ではないはずだ。

                    『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』(現代書館

 

 

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