ふたつの革命について
NEZUMI
つまるところふたつの革命がある。答える革命と答えない革命、もしくは答える革命と問う革命が。一ミリでも目的論、進化論、プログラムを潜ませている前者の革命は敵である。右翼からリベラルをはさんで旧左翼、そして新左翼、そして公認アナキズムまでは(アナルコ・ファシズムのような変種もふくめて)グラデーションをなしている。しかしこれらすべては統治をめぐって路線闘争をしているのにすぎない。これと断絶することだけが重要なのだ。
旧左翼から新左翼が分岐し、その最良の部分からアウトノミアが、あるいは「権力をとらずに世界を変える」ホロウェイが、「予示的政治」が派生した。そしてこのあとに蜂起主義が登場したことは何を意味するのか。そこで重要なのは戦術的な過激化ではない。統治からの断絶であり、この断絶の表現が蜂起であり、コミュニズムなのである。いうまでもないがこれは「コミュニズムの理念」をめぐる論議とは何の関係もない。これらはすでにあの「歴史哲学テーゼ」で言われたことにすぎない。これをわれわれは「無条件革命」と名づけたことがあるが、「無様相革命」とよんでもいいだろう。ここでは「コミュニズムの理念」にかわって「コミュニズムの身体」が問われることになるからだ。