アメリカ議会襲撃について フランコ(ビフォ)ベラルディ 高祖岩三郎訳


以下は1月13日の conversations.e-flux.com に掲載されたビフォのアメリカ議会襲撃についての考察である。ビフォによれば議会襲撃は端緒にすぎず低強度の戦争が当たり前の事態となって、次第に警察も軍隊も巻き込んでゆくだろう」。なぜならそこには白人アメリカの「無底」があるからだ。

https://www.e-flux.com/announcements/371876/bifo-on-the-us-capitol-riots/


なおビフォのもうひとつのテクストも近日中にここで公開される。



アメリカ議会襲撃について

われわれは何の「無底性アビス」を問題にしているのか?


フランコ(ビフォ)ベラルディ

高祖岩三郎訳

 

1月9日づけ『New York Times Magazine』に掲載されたティモシー・スナイダーの論考には、「アメリカの無底性」という、ことさらオリジナルではないが、美しい題名がつけられていた[1]。だが内容については、読むにつれて、わたしにとって多少がっかりするものだった。

 

「ポスト真実」は、前段階的プロトファシズムである。そしてトランプは、ポスト真実時代の大統領であった。わたしたちは、真実を諦めてしまうことことで、富とカリスマ性を持った者に、その代用としてのスペクタクルを創りす力を譲渡してしまう。基本的な事実に関する合意なくして、市民は自分たちを守る市民社会を形成することはできない。自分たち相応しい事実を生産する諸制度を失うにつれてわたしたちは、魅力的な抽象と作り話に溺れてゆくだろう。ポスト真実は、法の統制を摩滅させ、神話の体制を招来する。

 

わたしはもちろんこの最後の主張には合意する。だがそうは言っても、これは何も説明していない。説明されねばならないのは、何故、アメリカ社会の大勢が、組織的に虚偽の主張を「信じている」のかということである。

それにしても、スナイダーは、トランプ主義者たちが、トランプの発言を、文字通り「信じている」と考えているのだろうか?

『ギリシャ人は神話を信じたか?』という著書で、ポール・ヴェーヌは、「信ずること」の意味を問うている。結論として彼は、神話の力は、隠喩を文字通りに信じさせる事、隠喩的な言辞の前と後の括弧を忘れさせる事にはない、と指摘する。神話的な信は、今日でも——ミームの感染として——同じように、「信者」の生にとって、ある種実利的プラグマティックな一貫性を保証するのだ。それは、存在する意味を喪失したこの世界において、そのような神話にこだわる者たちの世界に意味を与えているのだ。

    たとえば「わたしは選挙に勝った」というトランプの断定を信じることは、記号論的な過ちではない。そしてそれはアイデンティタリアン主義者が、自己主張するのための戦略なのである。だから自由主義者たちが「虚偽の蔓延」を問題にする時、彼らは事態の本性を見失っている。神話あるいはミームを共有する者たちは、社会科学者のように、事実としての真実を求めているのではない。そうでなく、彼らは、意識するとしないに関わらず、厄祓い、あるいは侮辱、あるいは武器としての「虚偽の言表」の威力を共有しているのだ。

    かくして、より重要な問いは、「どうしてトランプは嘘をつくのか」ではなく、何故「そもそもここまで多くの人々が彼に投票するのか」である。いったい何が、彼のための投票や行動を生産している——経済的/政治的/記号論的——条件なのか?この問題の解決は、オレンジマンを(繰り返し)告発すること、あるいは彼からツイッターを取り上げることではない。(それにしてもドーシーさん、遅すぎましたよ!)むしろ人々が、屈辱と怨恨に曇らされずに考え行動することが出来るようにすること以外にない。

   アメリカの危機は、マスコミュニケーションの悪影響によって醸成されたものではない。それは常に、甚だしく暴力的だった、この国の人種差別的本質に起因している。

   合衆国における現在の諸々の事件を理解する鍵は、1992年リオデジャネイロの地球サミットで、当時大統領だったジョージ・ブッシュが発した言葉にある。このサミットは、切迫している気候変動について議論し、経済成長の環境への影響を削減する方法を共有することを目標としていた。

   大統領は言った。「アメリカ国民のライフスタイルを犠牲にすることはできない。」

    アメリカ人のライフスタイルは、ある統計に集約されている。「平均的なアメリカ人の消費者は、平均的な非アメリカ人の四倍もの電気を消費している。」白人アメリカ人は、2008年の金融崩壊で、その多くが貧困化したが、そこから立ち直ったのは金融業関係者のみであった。彼らは、彼らの国の犯罪的戦争が、過去50年間、不名誉にも負け続けてきたことに屈辱を感じている。彼らは、自分たち白人の来るべき人口統計的な縮小に不安を覚えている。そこで彼らが、まだ辛うじて手にしているものにしがみつくのだ。SUV、武器、とてつもない量の動物を貪る権利、その他()。彼らの特権が、グローバル化によって危機に晒され、ますます萎んで行く中で、彼らは「アメリカを再び偉大にする」総統フューラーに従属してゆく心構えなのだ。

 1月6日にワシントンで起こったことは、蜂起ではないし、真のクーデターではない。それは、アメリカ的な「白人ナショナリズム」と「自由主義的グローバリズム」の間の内戦における、茶番的でも犯罪的でもある一挿話であった。結局グローバリストもナショナリストも、共にアメリカ資本主義の優位性の表現形態なのである。この内戦は、今後、長引きながら拡大してゆくだろう。そして人類にとって幸運なことに、これがアメリカの権勢を消尽してゆくだろう。

  この継続中の内戦を理解したいならば、『Le Monde Diplomatique』に掲載されたアメリカのジャーナリスト、トマス・フランクのエッセーを読むといい。

 

わたしの家の近所のバーベキューレストランに、トランプの赤帽子をかぶり、マスクをつけない男が、入ってきたそうだ。レジで働いている少年(時給手取り8ドル50セントで雇われている)が、地元のルールにしたがって、鼻と口をカバーするように懇願すると、その男は、クリント・イーストウッドが着るようなマカロニウエスタン風のシャツを持ち上げて、その少年にピストルを見せたという[2]

 

 この逸話が、アメリカ的日常の繊維に浸透しつつある、内戦の実情を伝えている。それは、折々、1月6日に起こったように爆発し続けるだろう。この低強度の戦争が当たり前の事態となって、次第に警察も軍隊も巻き込んでゆくだろう。

   この「無底性」は、記号論的なものではなく、文化的、社会的、人種的なものである。白人優位性は、アメリカ的アイデンティティーの中心的基盤なのである。合衆国は、大量殺戮ジェノサイドと奴隷制を基盤にしているのだからトランプは、ことさら邪悪な例外ではない。むしろ白人アメリカにとって正統ななのである。そしてそれこそが「底」なのだ。それは白人自由主義者たちが、ことさら太刀打ちしようとしている馬鹿馬鹿しい嘘の拡張などではない。

   合衆国憲法修正第13か条は、アメリカにおける奴隷制を廃棄することにはならなかった。それを合法化しつつ、綿花畑を大量投獄と取り替えただけである。

   結局それが、ティモシー・スナイダーが見落とした「無底性」なのだ。

 



[1] Timothy Snyder, “The American Abyss,” New York Times Magazine, January 9, 2021. わたしは、同じ題名の論考を2020年9月の e-flux journal. に掲載した。

 

[2] Thomas Frank, “America, the Panic Room,” Le Monde Diplomatique, October 2020.

 

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