「HAPAX」14号「気象」、刊行

 NEZUMI

HAPAX14号が刊行された。今号の主題は「気象」である。13号「パンデミック」の江川隆男氏はインタビューで大地から大気への転換こそ思想的・政治的な要請であることを告知した。今号はその要請にこたえるものである。

巻頭には先に『浄土の哲学』という画期的な他力=革命論を上梓した守中高明氏へのインタビューを置いた。ここで語られる守中の「回心」こそが気象的と呼ばれるべきものであり、「他力」とは気象である。次にはニューヨークのサブ・コーソによる3・11以降を論じたテクストが続く。放射能とパンデミックはわれわれにとっての本質的なものを開示しているがゆえに黙示録的なのである。またこの課題をめぐってわれわれは60年代、そして68以降の思想と表現にその先行形態を再発見し(「気象的コミュニズムについて」)、あるいは日々の生を臨床的に考察しながら霊性を探ってみた(「霊の労働」)。期せずしてそのどちらも「身体」を取りだすことになった。気象とは身体の問題位でもあるからだ。気象と無縁と見えるかもしれない「ジャンキー・コミュニズム」もまた身体における気象を問うている。またニューヨークからのイドリスのテクストは「帝国」の断片化を提起することで気象の政治を示しているのだ。われわれはこの気象の政治を「気象的コミュニズム」と名付けたが、その理論化は端緒についたばかりであり、それは今回、扱うことをしなかった気候運動の導入とともに次号以降の主題となりだろう。

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気象と身体、もしくは気象的身体を考えるときんい指標となるのは、例えば最近、ひそやかに刊行されたクレール・マランの『病い、内なる破局』(法政大学出版局)だ。自身、重い疾患をかかながら「病い」について思考してきたマランはそれらをこの美しいエッセイに凝縮させている。マランは病いがもたらす同一性の揺らぎを考察し、最終的には「病いを破局として定義」する。それは「悲劇的で、苦痛で、不当な転覆をもたらすその力を強調」することだが、同時に「自分自身では手離してしまう勇気をもてなかったであろうことも含めて、全てを脱ぎ捨ててしまう経験」でもある。この身体の「病い」=「破局」は気象において問われている「破局」と決して無縁ではない。そしていまこの世界を覆うすべては「破局」の過程である。そして「全てを脱ぎ捨ててしまう」ことは、イドリスのいう「断片化」としてのコミュニズムへとアクセスされるだろう。

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